大東亜戦争、シリーズ別の年表をまとめました。本記事と合わせてご覧ください。
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→「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」シリーズ 参考文献まとめ
第1部 3章 帝国主義の時代
年号 | 日本 | 世界 |
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1853 (嘉永6) | ペリーが4隻のアメリカ艦隊を率いて浦賀に入港 | |
1854 (安政元) | 幕府が下田、箱館の2港を開港 | |
1856 (安政3) | ハリスが下田に来航 | 英仏による中国に対する侵略戦争であるアロー戦争起こる(第2次アヘン戦争) |
1857 (安政4) | インド大反乱(セポイの乱) | |
1858 (安政5) | 日米修好通商条約締結 | カリフォルニアで中国人・モンゴル人移民入国禁止法案が通過 |
安政の大獄 | イギリスが直接インドの統治に当たることを宣言 | |
1859 (安政6) | 下田・横浜・長崎・箱館の 4 港を聞く | |
1860 (安政7) | 桜田門外の変にて井伊直弼暗殺 | 英仏両軍が北京を占領(アロー戦争の終結)、北京条約を締結 |
1862 (文久2) | 和宮と第14代将軍・徳川家茂が結婚(公武合体) 長州藩がアメリカ船を砲撃、アメリカによる下関砲撃 生麦事件 – 薩摩藩の大名行列をさえぎったイギリス人の殺傷事件が起きる | イギリス領ピルマがインドの 1 州となる |
1863 (文久3) | 薩英戦争 | |
1864 (元治元 ) | 新撰組による池田屋事件 幕府の第 1 次長州征討 英米仏蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃 | |
1866 (慶応2) | 薩長同盟が結ばれる | |
1867 (慶応3) | 大政奉還 | イギリスがペナン・ディンディング・マラッカ・シンガポールを合併して、マレー海峡植民地が造られる |
王政復古の大号令 | ||
1868 (慶応4) | 鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争が始まる 五箇条の御誓文 江戸城無血開城 会津戦争 江戸を東京と改称し、年号が明治に改まる | 日本人移民がはじめてハワイに渡航 |
1869 (明治2) | 東京に遷都 箱館戦争(五稜郭の戦い)にて戊辰戦争終結 版籍奉還 | |
1871 (明治4) | 廃藩置県 日清修好条規調印 岩倉使節団が出発 | |
1872 (明治5) | 陸軍省・海軍省の設置 | |
1873 (明治6) | 岩倉使節団が帰国 地租改正条例 征韓論に敗れ西郷隆盛らが下野(明治六年の政変) | オランダがスマトラを侵略、アチェ族を討伐(アチェ戦争) |
1874 (明治7) | 民撰議院設立建白書 台湾出兵 | フィジー諸島がイギリスの保護領(植民地)となる ロシアとオスマントルコの間で露土戦争が勃発 |
1875 (明治8) | 樺太・千島交換条約 – 日本とロシアとの領土交換 江華島事件 – 日本と李氏朝鮮との戦い・日本の勝利 | |
1876 (明治9) | 廃刀令 日朝修好条規調印 | |
1877 (明治10) | 西南戦争 | |
1881 (明治14) | 国会開設の勅諭(明治14年の政変) | |
1884 (明治17) | ベルリン西アフリカ会議 – 列強による「アフリカ分割」の原則が確認された | |
1885 (明治18) | 内閣制度ができる 初代内閣総理大臣は伊藤博文 | イギリスのビルマ侵略戦争として第三次ビルマ戦争勃発。 ピルマ・コンパウン王朝の滅亡。 |
1886 (明治19) | ノルマントン号事件 – 英船の海難事故。乗船していた日本人が全員死亡、イギリスの領事裁判権によって船長・船員の全員が無罪 | ビルマがインド帝国の1州としてイギリス植民地に併合される |
1887 (明治20) | ||
1888 (明治21) | アメリカで全中国人労働者の入国が禁止される | |
1889 (明治22) | 大日本帝国憲法の発布 – アジア初の近代的な憲法 国号が大日本帝国となる | マレーシア、マレー半島南西部のヌグリ・スンピランがイギリスの保護領(植民地)となる 英米仏に侵略されたサモア諸島の分割が決まる |
1890 (明治23) | 第1回衆議院議員総選挙・第1回帝国議会 | シッキム国(ネパール)がイギリスの保護国となる |
第1部 3章 日露戦争
年号 | 日本 | 中国・朝鮮 | その他の世界 |
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1636 (寛永13) | 清の皇帝ホンタイジが朝鮮を侵略 | ||
1637 (寛永14) | 李氏朝鮮が降伏し、清に服属する | ||
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1863 (寛文3) | 朝鮮で大院君政権が成立 | ||
1871 (明治4) | 日清修好条規調印 | ||
1873 (明治6) | 朝鮮で大院君追放、閔氏政権の成立 | ||
1875 (明治8) | 江華島事件 – 日本と李氏朝鮮との戦い・日本の勝利 | ||
1876 (明治9) | 日朝修好条規調印 | ||
1884 (明治17) | 朝鮮で甲申政変 – 開化派の金玉均のクーデター失敗 | ||
1885 (明治18) | イギリスが朝鮮の巨文島を占領 | ||
1890 (明治23) | 第 1 回衆議院議員総選挙 第 1 回帝国議会開院式 | ||
1891 (明治24) | 大津事件 – 日本を訪問中の露国皇太子ニコライが襲われ負傷。露との関係悪化を恐れた政府は犯人を死刑に処するように裁判所に圧力をかけたが、児島惟謙は応じず、あくまで法に照らして裁いた。司法権の独立が守られたことで世界的に日本の評価を高めた | ||
1892 (明治25) | アメリカ移民局が日本人労働者の入国を拒否 赤道直下のギルパート諸島・エリス諸島などが、イギリスの保護領となる |
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1893 (明治25) | ハワイで革命勃発、アメリカ軍がホノルル上陸 軍艦浪速がホノルル入港 ハワイ共和国の成立宣言 |
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1894 (明治27) | 日英通商航海条約調印(領事裁判権の撤廃) - 以後各国との間に改正条約成る 日清戦争勃発 | 東学党の乱(甲午農民戦争)、大院君の政局復帰 大院君派と閔妃派の対立が深まる 金玉均、上海で暗殺される | ハワイのリリカラワニ女王が投獄される |
1895 (明治28) | 日清戦争終結 日清講和条約(下関条約)調印 三国干渉 - 露独仏の干渉により遼東半島を清に返還 | ロシアの支援を受け閔妃復権するも暗殺される 下関条約により朝鮮が清から独立 | |
1896 (明治29) | オーストラリアが日本人の自由渡航を禁止 軍艦浪速を再びハワイ派遣 |
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1897 (明治30) | 朝鮮国が大韓帝国に国号を改める | ||
1898 (明治31) | 中国で義和団の乱が起こる ロシアが清国から大連・旅順の租借権と、南満州における鉄道敷設権を獲得 | 日本がアメリカのハワイ併合に抗議 ハワイがアメリカに併合される アメリカとスペインによる米西戦争勃発 アギナルドがフィリピン独立軍を起こす 米軍がスペイン軍の立てこもるマニラを陥落させる 米軍がグアム島占領 米西戦争終結、パリ平和条約にてフィリピン・グアム島がアメリカに譲渡される アギナルドがフィリピン初代大統領となり、独立を宣言 アメリカによるフィリピン領有宣言 |
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1899 (明治32) | アメリカ国務長官ジョン・ヘイの門戸開放宣言 独立を求めるフィリピンと、アメリカの間で米比戦争勃発 トンガ諸島・ソロモン諸島がイギリスの保護領となる |
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1900 (明治33) | 軍部大臣現役武官制の確立 | 義和団が北京の各国領事館を包囲、日本を含め各国が軍隊を送り鎮圧 | アメリカが中国の門戸解放に関する最後通牒を発す |
1901 (明治34) | 清国が各国と北京議定書締結 | カリフォルニアで日本移民排斥 オーストラリアでアジア系移民排斥法成立 フィリピンのアギナルド大統領がアメリカ軍の捕虜となる アメリカによるフィリピンのサマール島とレイテ島の島民虐殺 |
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1902 (明治35) | 日英同盟締結 | アメリカによる米比戦争終結宣言 – フィリピンがアメリカの植民地であることが確定 | |
1904 (明治37) | 日露戦争勃発 日韓議定書調印 第一次日韓協約 | イギリス軍がチベット侵略 アメリカで中国人移民の無制限入国禁止法案が通過 |
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1905 (明治38) | 旅順の陥落 奉天会戦 日本海海戦 – 日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を全滅させる 桂・タフト協定成立 – 日本が朝鮮において優位なことを承認する代わりに、日本はフィリピンに領土的野心がないとする 日露講和条約(ポーツマス条約)調印 日比谷焼打事件 – 日露講和条約が無賠償を定めていることに反発した市民が、日比谷公園を中心に東京の各地で暴動を起こす 満州に関する日清条約調印 第二次日韓協約 | ザンフランシスコ学童問題起こる 鉄道王ハリマンの極東計画 インドで排英運動が激化 |
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1906 (明治39) | ロシアから南樺太を受領 | ハリマンの覚書が無効となる 米英が満州の門戸開放を日本に要請 チベットに閲するイギリス・中国間の条約が成立 |
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1907 (明治40) | 第1次日露協約調印 第三次日韓協約 | 朝鮮で義兵による反日抗争が激化 | 日米紳士協約 |
1909 (明治42) | 伊藤博文がハルピン駅で暗殺される 閣議にて韓国併合方針が決定される | アメリカが満州鉄道の申立化を策す イギリスがマレー半島を統一 |
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1910 (明治43) | 大逆事件(幸徳事件) - 幸徳秋水ら社会主義者らを逮捕、秘密裁判を経て処刑 韓国併合 第2次日露協約調印 | 大韓帝国が日本に併合される | アメリカの満州鉄道中立化計画を日露両国が拒否 ダライ・ラマがチベットからインドに逃れる |
1911 (明治44) | 日米通商航海条約改正調印(関税自主権確立) - 以後各国との間に改正条約成る | ||
1912 (明治45) | 明治天皇崩御 大正天皇践祚 |
第1部 3章 黄禍論と日本人差別
年号 | 日本 | 日米関係 | その他の世界 |
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1892(明治25) | アメリカ移民局が日本人労働者の入国を拒否 | ||
1896(明治29) | オーストラリアが日本人の自由渡航を禁止 | ||
1901(明治34) | カリフォルニアで日本移民排斥 | オーストラリアでアジア系移民排斥法成立 | |
1902(明治35) | 日英同盟締結 | ||
1904(明治37) | 日露戦争勃発 | アメリカで中国人移民の無制限入国禁止法案が通過 | |
1905(明治38) | 日露講和条約(ポーツマス条約)調印 | 桂・タフト協定成立 – 日本が朝鮮において優位なことを承認する代わりに、日本はフィリピンに領土的野心がないとする サンフランシスコ学童問題起こる | |
1907(明治40) | 日米紳士協約 アメリカで日本を仮想敵国とするオレンジ計画が始まる | ||
1908(明治41) | 白船が横浜に来航 | ||
1909(明治42) | 排日土地法案の提出 | ||
1910(明治43) | 韓国併合 | ||
1911(明治44) | 日米通商航海条約改正調印(関税自主権確立) - 以後各国との間に改正条約成る | 中国で辛亥革命起こる – 清国の滅亡 | |
1912(明治45・大正元) | 明治天皇崩御、大正と改元 | ||
1913(大正2) | 大正政変 軍部大臣現役武官制度を撤廃 中華民国を承認 | カリフォルニア州で日本人移民の土地所有禁止 | |
1914(大正3) | 日英同盟を理由に対独宣戦布告 – 第一次大戦に参戦 日本軍がドイツ領の南洋諸島占領 日本軍がドイツの租借地であった青島を占領 | オーストリア、セルビアに宣戦布告 - 第一次世界大戦勃発 | |
1915(大正4) | 大戦景気で日本経済潤う 中国に対し二十一箇条の要求 | 中華民国政府が二十一箇条を受諾 | |
1917(大正6) | 石井・ランシング協定 – 日米両国が中国大陸における門戸開放政策を支持することを誓った上で、日本の中国大陸における特殊権益(満州・東部内蒙古)を認める協定 | ロシア革命(2月革命) – 皇帝廃位によりロシア臨時政府が樹立 アメリカがドイツに対して宣戦布告 - アメリカが第一次大戦に参戦 ボルシェビキによるロシア十月革命 |
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1918(大正7) | アメリカの要請によりシベリア出兵 米騒動勃発 | 第一次世界大戦終結 | |
1919(大正8) | パリ講和会議 にて日本が人種的差別撤廃提案を行う 採決にて日本の人種的差別撤廃提案への賛成が多数を占めるも、否決される パリ講和会議にて山東省におけるドイツ利権を日本が継承することが承認される | 第一次大戦に関するパリ講和会議 第一回汎アフリカ会議がパリで開催され、日本を全面的に支持することを表明 人種的差別撤廃提案が否決されたことを受け、アメリカで黒人による暴動が各地で発生 朝鮮京城にて大規模な反日デモ突発(三・一事件) 中国で大規模な反日デモ勃発(五・四運動) ヴェルサイユ条約調印 – 第一次世界大戦の講和条約 |
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1920(大正9) | 日本が国際連盟常任理事国として加盟 八八艦隊計画 尼港(ニコライエフスク)事件 – シベリア出兵中の日本軍351人と在留邦人383人、資産家階級のロシア人数千人がバルチザンに虐殺された | カリフォルニア州排日土地法で日本人移民の子供も土地所有を禁止される | 国際連盟発足 アクラで英領西アフリカ民族会議が創設される |
1921(大正10) | 原敬首相が東京駅頭で暗殺される 日英同盟が破棄され、「太平洋に関する四ヶ国条約」が締結される | ワシントン会議が開催される | |
1922(大正11) | ワシントン海軍軍縮条約が結ばれる ワシントン会議にて九カ国条約が結ばれる シベリア派遣軍撤退完了 | 米国最高裁判所で日本人を帰化不能外国人と判断 | イタリアでムッソリーニのファシスト党によるローマ進軍 ソビエト連邦成立 |
1923(大正12) | 日英同盟の消滅 関東大震災 | 石井・ランシング協定廃棄 | |
1924(大正13) | 連邦法で排日移民法が成立 – 日本人移民の全面的禁止 | ||
1925(大正14) | 4個師団廃止を軸とする宇垣軍縮が実行される 日ソ基本条約締結 治安維持法公布 普通選法公布 | ||
1926(大正15) | 大正天皇崩御 裕仁親王が践祚して昭和と改元 | 中国において蒋介石の北伐開始 |
第1部 3章 満州事変
年号 | 日本 | 満州・中国 | その他の世界 |
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1616 | ヌルハチが後金を建国 | ||
1627 | ホンタイジが軍を朝鮮へ遠征させる | ||
1636 | ホンタイジが国号を大清国と改める 民族名を「女真」から「満州」に改める | ||
1644 | 李自成の反乱により明国が滅亡 清が李自成を破って北京を占領し、中国支配を宣言 | ||
1689 | 露清間にネルチンスク条約 – 国際的に満洲全域が正式に清朝の国土と定められた | ||
1740 | 満州に漢人の移住を禁止する封禁令を発する | ||
1858 | 露清間にアイグン条約 | ||
1860 | 露清間に北京条約 – アイグン条約と併せ、外満洲地域がロシアに割譲される 満州への漢人の移住を奨励 | ||
1878 | イスラム教徒の反乱を平定後、満州封禁が徐々に解除される | ||
1900(明治33) | アムール川事件 – ロシア軍によってブラゴヴェシチェンスクで清国人数千人が虐殺される | ||
1904(明治37) | 日露戦争、勃発 | ||
1905(明治38) | 日露講和条約(ポーツマス条約)調印 | 満州に関する日清条約調印 – ロシア・ロマノフ王朝の満洲における鉄道・鉱山開発を始めとする権益の内、南満洲に属するものは日本へ引き渡される 鉄道王ハリマンの極東計画 | |
1906 (明治 39 ) | ハリマンの覚書が無効となる 米英が満州の門戸開放を日本に要請 南満州鉄道(満鉄)が資本金2億円で設立される | ||
1907(明治40) | 第1次日露協約 | 日本の開発した大連が上海に次いで中国第2位の貿易港に躍進 | |
1909(明治42) | アメリカが満州鉄道の申立化を策す | ||
1910(明治43) | 第2次日露協約 | アメリカの満州鉄道中立化計画を日露両国が拒否 | |
1911(明治44) | 辛亥革命、清朝滅亡 満州への漢人の移入が急増 | ||
1912(明治45) | 第3次日露協約 | 中華民国の成立 中華民国が清朝領土の継承を宣言 満洲は張作霖軍閥の支配下となる | |
1915(大正4) | 日本が中国に二十一ヵ条要求を出す 中国が二十一ヵ条要求を受諾 | ||
1916(大正5) | 第4次日露協約 | ||
1917(大正6) | ロシア革命 | ||
1918(大正7) | 日本軍、シベリア出兵 | 日本軍が北満洲及び外満洲の大部分を占領 | |
1922(大正11) | 日本軍、シベリア撤兵 | 日本軍による北満州の占領が解除される | |
1924(大正13) | 国共合作を成し遂げた国民革命軍が華北へ進撃 | ||
1926(昭和元) | 昭和に改元 | 孫文が死亡、中国は内戦へ 張作霖が東三省の独立を宣言 蒋介石の北伐開始 汪兆銘による武漢国民政府成立 | イギリス連邦を形成 |
1927(昭和2) | 昭和金融恐慌、始まる 労働争議、相次ぐ 幣原外交への反感から若槻内閣倒れる 田中義一内閣発足 東方会議の開催 – 対中国積極策の基本政莱「対支政策綱領」を決定 モラトリアム(支払猶予)を実施 東京地下鉄道が開業(上野~浅草間) | 南京事件 – 蒋介石の北伐軍が南京を占領した際に、中国共産派の煽動で外国の領事館や居留民などを襲撃、米英軍艦が南京砲撃 漢口英租界事件 漢口事件 – 蒋介石の北伐軍が武漢攻略の際に、漢口の日本租界を襲撃 蒋介石の上海クーデター - 国共分裂 南京国民政府の成立 日本軍、第1次山東出兵 張作霖が北京に軍事政府樹立、大元帥となる 中国共産党の南昌起義 武漢国民政府が南京国民政府に合流 毛沢東が江西省に革命根拠地樹立 | ジュネーヴ海軍軍縮会議 - 軍縮は不成立 アメリカのリンドバーグ、大西洋無着陸横断飛行に成功 |
1928(昭和3) | はじめて普通選挙が行われる | 蒋介石が国民政府主席に 蒋介石の北伐再開 日本軍、第2次・第3次山東出兵 済南事件 - 蒋介石の北伐軍が日本人を襲い、その後日本軍と武力衝突 張作霖爆殺事件 蒋介石の北伐完了 – 蒋介石の南京国民政府による中国統一 関税自主権承認の中米条約調印 (のちにイギリスとも関税自主権承認に調印) アメリカが蒋介石の国民政府を承認 蒋介石、国民政府主席に就任 日清通商航海条約の一方的な破棄を中国側が通告、日本側は拒否 張学良による満州易幟(えきし) - 北洋政府が使用していた五色旗から、蒋介石率いる国民政府の旗である青天白日満地紅旗に旗を換え、張学良が国民政府に降伏 | パリ不戦条約 イタリアでファシストが独裁体制を確立 ソ連でスターリンによる第1次5か年計画開始 アムステルダム・オリンピック |
1929(昭和4) | 浜口雄幸内閣発足 再び幣原平和外交始まる | 国民政府内での内戦起こる 南京の月刊誌『時事月報』に田中上奏文が発表される 張学良が満鉄と並行する吉海線を開通 中ソ紛争 – 張学良が中ソの共同管理下に置かれていた中東鉄道の利権を奪おうとしたがソ連軍が撃退し、全ての権益を回復 | ニューヨークでの株式大暴落をきっかけに、世界大恐慌始まる バチカン市国の成立 |
1930(昭和5) | 緊縮財政と金輸出解禁により金流出、輸出不振 昭和恐慌、始まる - 輸出減少・企業経営悪化・農産物価格の暴落 統帥権干犯問題 浜口首相が狙撃される | 幣原外相による日中関税協定の調印 - 中国の関税自主権を承認 満州の間島で共産党主導による暴動が発生 中国で中原戦争 – 蒋介石に反発する軍閥の反乱 | アメリカでホーリー・スムート関税法施行 - 超保護関税政策による外国製品排除(アメリカの経済ブロック化) インドのガンジーが「塩の行進」 ロンドン海軍軍縮会議 |
1931(昭和6) | 三月事件 - 桜会が中心となって計画した軍部内閣樹立クーデター未遂事件 第2次若槻内閣発足 十月事件 - 桜会が右翼を加えて計画した軍部内閣樹立クーデター未遂事件 東北地方冷害による飢饉で、女子の人身売買が横行 犬養毅内閣発足 高橋是清財相による金輸出再禁止、管理通貨制に移行 | 国民外交協会の主催による排日会議 満州で中村大尉殺害事件 満州で万宝山事件 - 用水路をめぐる水利問題で、中国人農民が朝鮮人農民を襲撃 柳条湖事件から満州事変勃発 – 日本軍が奉天を始め満鉄沿線の主要都市を占拠 林銑十郎朝鮮軍司令官が朝鮮軍の満州越境を開始 日本政府が不拡大方針を発表 関東軍が錦州を爆撃 国際連盟理事会が満州撤兵を勧告 天津で日中両軍衝突 溥儀が天津を脱出 日本軍がチチハル占領 | 朝鮮で朝鮮排華事件 – 万宝山事件をきっかけに、朝鮮半島で朝鮮人が中国人を襲撃 イギリスが金本位制を離脱 |
1932(昭和7) | 血盟団事件 - 井上準之助前蔵相が狙撃されて死亡 五・一五事件 – 海軍の青年将校が犬養毅を暗殺 斉藤実内閣発足(挙国一致内閣) | 日本軍が錦州占領 第1次上海事変 リットン調査団による調査 満州国の建国宣言、溥儀が執政に就任 上海での停戦協定成立 日満議定書調印 – 日本政府が満州国承認 平頂山事件 リットン調査団、調査の結果を国際連盟に報告 | アメリカでスティムソン・ドクトリン オタワ協定にてイギリスがブロック経済を形成 イギリスが日印通商条約の廃棄を日本へ通告 – インドへの日本製品の輸入を抑制 オランダが緊急輸入制限法を成立させる – 東インド(インドネシア)に対する輸出の制限 ニューヨーク取引市場で生糸の取引価格が大幅に下落 第10回ロサンゼルス・オリンピック |
1933(昭和8) | 国際連盟総会でリットン報告書に基づく対日勧告案が可決され、松岡代表は席を蹴って退場 国際連盟脱退 滝川事件 – 大学の自治と学問の自由へ の弾圧 神兵隊事件 – 右翼によるクーデタ ー未遂事件 | 山海関で日中軍衝突 日本軍、山海関を占領 日本軍、熱河に侵入 国際連盟総会で満州事変に関するリットン報告を採択 日本と中華民国とで塘沽協定成立 | ドイツでヒトラー内閣が成立 ドイツが国際連盟を脱退 フランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領に就任、ニューディール政策を開始 ナチスのユダヤ人迫害が始まる |
1934(昭和9) | 東北地方の大凶作、欠食児童が相次ぐ 忠犬ハチ公の銅像が渋谷駅前に 陸軍内で皇道派と統制派による派閥争い激化 「国防」が流行語となる 岡田啓介内閣発足 日本がワシントン海軍軍縮条約の廃棄を通告 ベーブルースを主将とする米プロ野球選抜チームが来日 | 溥儀が満州国皇帝となる 毛沢東の中国紅軍が長征を開始 ローマ法皇庁が満州国を承認 満州の大連・新京間に「あじあ号」が運転開始 | ヒトラーが国家元首となる インドのネールが国民会議派の指導者となる アメリカで互恵通商法、成立 – 日本は対象外とされる イギリスがイギリス植民地(インド、ビルマ、マレーシア)向けの日本製綿布・人絹に対して輸入制限を実施 蘭印(インドネシア)において、日本製綿布に対する輸入制限を実施 ソビエト連邦が国際連盟に加入し常任理事国となる アメリカがキューバの独立を承認 |
1935(昭和10) | 天皇機関説事件 真崎教育総監が罷免される 貿易収支が17年ぶりに黒字となる | 日満関税協定成立 蒋介石・汪兆銘連名による排日運動厳禁を訓令 中国で排日テロが頻発 日満ソ3国で北満鉄道買収協定に調印 梅津・何応欽協定成立 新京・ハルビン間が開通 中国共産党による抗日救国宣言 冀東防共自治政府の成立 | アメリカが植民地であるフィリピン向けの日本製綿製品に関する輸入制限を実施 イタリアがエチオピアを侵略 |
1936(昭和11) | ロンドン軍縮会議脱退を通告 二・二六事件 – 陸軍の青年将校が要人を襲撃 戒厳令宣告 軍部大臣現役武官制復活 満州国開拓移民、20年で100万戸500万人計画策定 日独防共協定成立 | 綏遠(すいえん)事件 – 内モンゴル軍が綏遠省で中国国民党軍を攻撃するも失敗 西安事件 – 張学良が西安で蒋介石を監禁。周恩来が調停し、国民党と共産党との連携による抗日運動が開始される 満州国産業開発五カ年計画案決定 | スペイン内戦 ソ連でスターリン憲法を制定 ベルリン・オリンピック |
1937(昭和12) | 日独伊防共協定 | 廬溝橋事件から支那事変へ 皇帝溥儀の弟溥傑、嵯峨侯爵令嬢浩と結婚 第2次上海事変 日本軍が南京を占領 | イギリスの自治領オーストリアにおいても、日本製綿布・人絹に対して輸入制限が実施 |
1945(昭和20) | 関東軍が満州開拓団の男子を根こそぎ動員 ソ連軍が満州侵略、日本人居住民の虐殺相次ぐ 開拓団の集団自決、頻発 ソ連による満州占領 | ||
1946(昭和21) | 満州からの移民引き揚げが始まる | ソ連軍が満州から撤退 満州は蒋介石率いる中華民国に移譲される | |
1948(昭和23) | ソ連の全面的な支援を受けた中国共産党の人民解放軍が満洲全域を制圧 |
第1部 3章 泥沼の日中戦争
年号 | 日付 | 日本 | 満州・中国 | その他の世界 |
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1931 (昭和6) | 11月7日 | 江西省瑞金を首都として中国共産党が中華ソビエト共和国を樹立、主席は毛沢東 | ||
1932 (昭和7) | 国際連盟評議会において松岡洋右が田中上奏文を日本政府"公式"見解として北平(北京)駐在陸軍武官と中国人の合作と発言 | ロサンゼルスオリンピック | ||
1934 (昭和9) | ||||
10月14日 | 瑞金を捨て毛沢東が西方へ脱出 - 長征の開始 | |||
11月17日 | 天羽声明 - 日本によるアジア・モンロー主義として世界中で非難される | |||
1935 (昭和10) | 1月22日 | 広田外相が議会演説にて「不侵略」を表明 | ||
3月1日 | 中国、党宣伝部長が「排日行動を停止すべし」と表明 | |||
3月16日 | ヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言 | |||
6月10日 | 梅津・何応欽協定を締結 | |||
6月27日 | 土肥原・秦徳純協定を締結 | |||
7月 | 外務省が条約等の外交文書に於ける日本の国号表記を「大日本帝国」に統一 | |||
8月1日 | 中国共産党が抗日救国の八・一宣言を出す | |||
8月12日 | 永田鉄山暗殺事件 | |||
9月15日 | ナチス・ドイツにおいてニュルンベルク法制定(ユダヤ人公民権停止・ドイツ人との通婚禁止) ハーケンクロイツ旗が正式にドイツの国旗とされる |
|||
10月4日 | 広田外相が広田三原則を蒋介石政府に伝える | |||
10月19日 | 毛沢東が長征を終了する | |||
11月9日 | 上海にて中山水兵射殺事件 | |||
イギリス主導で中国で貨幣改革が行われる | ||||
11月20日 | 南京会談 - 蒋介石は広田三原則には同意するが、華北で問題がおこれば交渉できないと回答 | |||
11月25日 | 冀東防共自治政府が成立 | |||
12月9日 | 第二次ロンドン海軍軍縮会議開催 | |||
12月18日 | 蒋介石が冀察政務委員会を設立 | |||
12月26日 | 蒋介石が南京に戻る - 反共から抗日姿勢への転換を受け入れる | |||
1936 (昭和11) | 中国での日本人殺害事件相次ぐ | |||
1月15日 | 日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退 | |||
2月26日 | 二・二六事件 | |||
2月27日 | 東京市に戒厳令布告 | |||
2月29日 | 岡田啓介内閣総辞職 二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告 | |||
3月9日 | 広田内閣成立 | |||
3月12日 | ソ蒙相互援助議定書締結 | |||
5月 | 日本が支那駐屯軍を2000から5000に増強 | |||
7月31日 | 第12回オリンピックの開催地が東京に決定 | |||
8月1日 | ベルリンオリンピック | |||
8月11日 | ベルリン五輪から「前畑ガンバレ」の実況 | |||
11月 | 関東軍の支援を受けた内蒙古軍が独立を求めて反乱を起こすが失敗 | |||
11月3日 | アメリカ合衆国大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが再選 | |||
12月5日 | ソ連邦でスターリン憲法制定 | |||
12月12日 | 西安事件 - 張学良が蒋介石を拘束拉致 | |||
12月31日 | ワシントン海軍軍縮条約失効 | |||
1937 (昭和12) | 1月23日 | 広田内閣総辞職 | ||
1月24日 | 日本製綿製品のダンピングを制限する日米綿業協定が成立 | |||
1月25日 | 宇垣一成に組閣命令下る - 石原莞爾らの反対によって組閣断念 | |||
2月2日 | 林銑十郎内閣成立 | |||
2月10日 | 国民党が内戦停止 | |||
3月14日 | ローマ教皇ピウス11世、ナチスによる教会弾圧とユダヤ人差別を批判する回勅発表 | |||
4月16日 | 外務・大蔵・陸軍・海軍大臣四相によって華北分離工作の中止が正式決定される(関東軍は従わず) | |||
4月26日 | スペイン内戦中、ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを空襲 | |||
5月3日 | 中国がイギリスに借款供与を要請、イギリスは日本へも参加を要請 | |||
5月31日 | 林内閣総辞職 | |||
6月4日 | 第1次近衛内閣成立 | |||
7月7日 | 盧溝橋事件、日中戦争(支那事変)勃発 | |||
7月9日 | 閣議にて「盧溝橋事件不拡大・現地解決」の方針が決定される | 蒋介石が動員令を出し、4個師団と戦闘機を華北へ派遣 | ||
7月11日 | 近衛首相の出兵声明 | 現地停戦協定成立(松井-秦徳純協定) | ||
7月12日 | 蒋介石が「中央政府の同意のない現地協定は無効」と日本に通告 | |||
7月17日 | 蒋介石による最後の関頭演説 | |||
7月19日 | 国民党軍が北支周辺に30個師団、総兵力20万人を配備完了 | |||
7月25日 | 廊坊事件 - 電線修理にあたっていた日本軍が中国軍に一方的に攻撃される | |||
7月26日 | 広安門事件 - 門を通過していた日本軍が城壁から中国軍に一方的に銃撃される | |||
7月27日 | 内地の3個師団に派遣命令下る | |||
7月28日 | 日本軍、河北で総攻撃開始 | |||
7月29日 | 通州事件 - 冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が抗日側に転じ、日本人居留民を大量虐殺 29路軍が天津の日本人租界を攻撃 | |||
7月31日 | 日本軍が北平・天津地区を制圧 | |||
8月9日 | 関東軍が察哈爾省(現在の内モンゴル自治区)とその周辺の攻略を開始 大山事件 - 上海にて大山大尉が中国軍に殺害される | |||
8月12日 | 中国軍が上海日本人租界区域を約3万の兵で包囲 | |||
8月13日 | 閣議により上海への陸軍派遣を決定 | 上海の中国軍3万が日本海軍陸戦隊5千への攻撃を開始 - 日中両軍交戦(第二次上海事変) | ||
8月14日 | 中国空軍が上海空爆を行う - 外国人を含む千数百人の民間人死傷者が発生 | |||
8月15日 | 近衛内閣による声明 - 上海派遣軍が編成される | 中華民国が全国総動員令を発し、大本営を設置して陸海空軍総司令に蒋介石が就任 日中全面戦争に突入 日本海軍が渡洋爆撃を開始 | ||
8月17日 | 従来の不拡大方針を放棄し、戦時体制の準備を講ずると閣議決定 | |||
8月21日 | 中ソ不可侵条約締結 | |||
8月22日 | 中国共産軍が国民革命第八路軍に改編 | |||
8月23日 | 日本陸軍が上海上陸開始 | |||
8月下旬 | 蒋介石が漢奸狩りを開始 - 裏切り者とされた4千名ほどが処刑される | |||
9月 | 国民の戦争協力を促す国民精神総動員運動が始まる | |||
9月1日 | 日本軍が上海に入城 | |||
9月2日 | 北支事変を支那事変と改称 | |||
9月5日 | 日本海軍、中国大陸沿岸の封鎖を宣言 | |||
9月14日 | 日本軍、北平・天津より南進を開始 | |||
9月22日 | 共産党中央委員会が「国共合作に関する宣言」を発表 | |||
9月23日 | 蒋介石が「国共両党の第二次合作に関する談話」を発表 - 国共合作の成立 | |||
9月28日 | 国際連盟の日中紛争諮問委員会、総会で日本軍による中国の都市への空爆に対する非難決議を満場一致で採択 | |||
10月 | ローマ法王ピオ11世が全世界のカトリック教徒に向けて日本軍への協力を呼びかける | |||
10月5日 | ルーズベルト大統領がシカゴで「隔離演説」を行う | |||
10月6日 | 国際連盟総会、日本の軍事行動を九カ国条約・不戦条約違反とする決議採択 | |||
10月17日 | 関東軍、包頭を占領(チャハル作戦終了) | |||
10月27日 | 広田外相が第3国による日支両国の和平への橋渡しを受諾する用意があることを表明 - トラウトマン工作開始 | |||
11月2日 | ドイツを仲介とした日中間の和平交渉始まる - トラウトマン工作開始 | |||
11月3日 | 11/15までブリュッセルで九カ国条約会議開催、日本を非難する宣言採択 | |||
11月5日 | トラウトマン駐華ドイツ大使に対して和平案が提示される | 日本軍第10軍、杭州湾に上陸 | ||
11月6日 | 日独伊防共協定成立 | |||
11月9日 | 蒋介石、上海から撤退命令 | |||
11月11日 | 日本軍、上海の最後の拠点南市を占領 | |||
日本軍、蘇州攻略 | ||||
11月20日 | 大本営設置 | 国民政府(蒋介石)、南京より重慶へ遷都 | ||
11月21日 | ソ連機が南京で対日戦に参加 | |||
11月25日 | 日本とドイツの間で日独防共協定締結 | |||
12月1日 | 大本営、日本軍に南京攻略を許可 | |||
12月7日 | 蒋介石が日本案を受け入れる用意があると日本政府に伝えられる | 中国南京市から総統蒋介石夫妻ら脱出 | ||
12月10日 | 日本軍、南京攻撃開始 | |||
12月12日 | 国民党軍司令官の唐生智が南京から逃走 中国南京市北部の挹江門に督戦隊が置かれ撤退する中国軍の同士撃ち発生 パネー号事件 - 日本軍がアメリカの砲艦を誤って爆撃、沈没させる | |||
12月13日 | 日本軍が南京を占領 - 南京事件起こる | |||
12月14日 | 大本営連絡会議にて和平案の見直しに傾く | 北京に中華民国臨時政府が樹立される | ||
12月17日 | 南京入城式 | |||
12月21日 | 閣議にて新たな和平案が決議される | |||
12月22日 | ディルクセン大使に和平案が伝えられる | |||
12月24日 | 閣議にて「事変対処要綱」が決定される | |||
12月26日 | 中国側に和平案が伝えられる | |||
12月27日 | 南京で自治委員会が設立、治安が回復 日本軍、山東省済南を占領 | |||
1938 (昭和13) | ||||
1月9日 | 連絡会議と閣議にて中国に対する和平条件が議決される | |||
1月10日 | 海軍陸戦隊が青島を占領 | |||
1月11日 | 御前会議、「支那事変処理根本方針」を決定 | |||
1月14日 | 中国側が和平案について要求細目の確認を日本政府に求める | |||
1月15日 | 連絡会議にて中国との和平交渉の打ち切りが決定される 参謀本部が和平交渉の打ち切りを回避するため帷幄上奏を行う - 天皇への上奏 | |||
1月16日 | 第1次近衛声明 -「国民政府を対手とせず」 - 日中和平工作の打ち切り を表明 | |||
2月7日 | 中ソ航空協定締結 - ソ連から中国へ借款と飛行機や戦車を含め大量の兵器が渡される | |||
2月16日 | 御前会議にて戦線不拡大が決定される | |||
3月13日 | ドイツナチスによるオーストリア併合 | |||
3月28日 | 南京に中華民国維新政府が樹立される | |||
4月1日 | 国家総動員法制定 | |||
4月上旬 | 参謀本部が徐州作戦を承認 | |||
5月19日 | 日本軍、徐州占領 | |||
6月上旬 | 宇垣一茂による宇垣和平工作始まる | |||
6月7日 | 国民党軍が日本軍の行く手を阻むために黄河河南省の堤防を爆破 | |||
6月9日 | 国民党軍が鄭州の堤防を爆破 - 黄河決壊事件、水死者100万人と言われる | |||
6月11日 | 国民党軍によって黄河の堤防3ヵ所が破壊される | |||
6月12日 | 日本軍が堤防の修復と中国人の救済にあたる | |||
6月23日 | 国民党軍が揚子江両岸の馬華堤を爆破 | |||
7月 | アメリカが航空機及び部品の道義的禁輸を実施 | |||
7月9日 | ソ連軍が満州国東南端国境の張鼓峰に進出 | |||
7月15日 | 東京オリンピック (1940年)開催権を返上 | |||
7月29日 | 張鼓峰事件勃発 - 日本軍とソ連軍の紛争 | |||
8月10日 | 張鼓峰事件の停戦が実現 | |||
9月 | 宇垣外相が辞任 - 宇垣和平工作の失敗 | |||
9月23日 | 国民党軍によって武穴鎮下流の揚子江が決壊される | |||
9月29日 | ミュンヘン会談(〜30日)でドイツにズデーテン地方(チェコ)割譲が決定 | |||
10月21日 | 日本軍、広東占領 | |||
10月26日 | 日本軍が武昌・漢口・漢陽の武漢三鎮を占領 - 蒋介石が重慶に政府を移す | |||
11月3日 | 近衛首相による東亜新秩序声明(第二次近衛声明) | |||
11月9日 | ドイツでユダヤ人迫害開始 - 水晶の夜 | |||
11月12日 | 長沙焚城 - 国民党軍が日本軍の進撃を阻むために長沙全城を焼き払う、死者20万人 | |||
11月18日 | 有田外務大臣がワシントン体制を否認 | |||
11月 | 援蒋ルート(ビルマルート)完成 | |||
12月4日 | 日本軍による重慶爆撃が開始される | |||
12月6日 | 新たな戦争指導方針を決定 - 占拠地拡大を企図しないなど | |||
12月18日 | 汪兆銘が重慶を脱出 | |||
12月22日 | 近衛首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明) | |||
12月28日 | 蒋介石が東亜新秩序を批判 | アメリカが近衛声明を批判 | ||
12月29日 | 汪兆銘が国民政府に対し対日和平を提議する通電を発信 - 艶電 | |||
1940年東京オリンピックの中止決定 | ||||
1939 (昭和14) | 1月4日 | 近衛内閣総辞職 - 平沼内閣成立 | ||
2月 | アメリカがクレジット禁止による対日経済制裁を実施 | |||
2月10日 | 日本軍が海南島上陸 | |||
3月2日 | ピウス12世がローマ教皇に選出 | |||
3月16日 | ドイツがボヘミア・モラヴィアの保護領化を宣言(チェコスロバキア併合) | |||
4月1日 | フランコ、スペイン内戦の勝利宣言 | |||
5月12日 | 満蒙国境付近でノモンハン事件勃発 - 日本軍とソ連・モンゴル連合軍との紛争 | |||
6月14日 | 日本軍が天津英仏租界を封鎖 | |||
7月8日 | 国民徴用令公布 | |||
7月23日 | 天津英仏租界封鎖について有田外相とクレーギー駐日英大使による日英東京会談 - イギリスが大幅譲歩 | |||
7月26日 | アメリカが日米通商航海条約の破棄を日本政府に通告 | |||
8月2日 | アインシュタインがルーズベルト米大統領宛に原子爆弾開発を促す書簡を送付 | |||
8月21日 | 天津英仏租界封鎖をめぐるイギリスとの交渉決裂 | |||
8月23日 | ドイツとソ連の間に独ソ不可侵条約締結 | |||
8月28日 | 「欧州情勢は複雑怪奇」という言葉を残し平沼内閣総辞職 | |||
8月30日 | 阿部内閣成立 | |||
9月1日 | 蒙古聯合自治政府が樹立される | ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる | ||
9月3日 | 大本営が関東軍にノモンハン事件の作戦中止を指令 | |||
9月4日 | 日本、第二次世界大戦への不介入を表明 | |||
9月5日 | アメリカがが中立を表明 | |||
9月15日 | ノモンハン事件の停戦成立 | |||
9月17日 | ソ連軍がポーランド侵攻 | |||
9月28日 | 独ソ友好条約調印(ポーランド分割占領を決定) | |||
11月30日 | ソ連赤軍がフィンランドに侵攻 | |||
12月14日 | 国際連盟がフィンランド侵略を理由にソ連を除名 | |||
1940 (昭和15) | 米内内閣成立 | |||
3月30日 | 汪兆銘政権(南京国民政府)成立 | |||
7月 | 第二次近衛内閣成立 | |||
1942 (昭和17) | 河南省で大飢饉発生 - 中国政府はなんら救済措置を講じず死者300万 | |||
11月 | 宋美齢の米国訪問 | |||
1943 (昭和18) | 2月18日 | 宋美齢がアメリカ議会で演説 | ||
1944 (昭和19) | 日本軍が河南省に入り、軍量を放出して被災者の救済にあたる | |||
4月 | 日本軍が河南省に進行 - 河南省の農民が日本軍に協力 | |||
5月 | 日本軍が河南省全省を占領 |
第1部 4章 日独伊三国同盟
年号 | 日付 | 日本 | ヨーロッパ | アメリカ |
---|---|---|---|---|
1936 | 11月25日 | 日独防共協定の締結 | ||
1937 | 10月5日 | ルーズベルトによる隔離演説=日本を非難 | ||
11月 | 伊が加わり、日独伊防共協定締結 | |||
12月26日 | 第1回極東ユダヤ人大会にて樋口季一郎が同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を激しく批判 | |||
1938 | 3月 | オトポール事件=モンゴルと満州の国境付近にあるオトポールに逃れてきたユダヤ人難民を関東軍の樋口季一郎が救出 | ||
3月18日 | ドイツがオーストリア併合 | |||
7月29日 | 張鼓峰事件勃発 - 日本軍とソ連軍が満州国東南端国境にて紛争 | |||
9月28日 | ミュンヘン会談(〜30日)でドイツにズデーテン地方(チェコ)割譲が決定 | |||
11月9日 | ドイツでユダヤ人迫害開始 - 水晶の夜 | |||
12月6日 | 五相会議にて「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を決定 | |||
12月22日 | 近衛首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明) | |||
1939 | 防共協定にハンガリー王国と満州国・スペインが参加し6カ国による枢軸国協定となる | |||
1月4日 | 近衛内閣総辞職 - 平沼内閣成立 | |||
1月23日 | 五相会議にて三国同盟案に関して日独伊の相互武力援助はソ連のみを対象とし、第三国は状況によって対象にするとの妥協方針が決定 | |||
2月 | クレジット禁止による対日経済制裁を実施 | |||
3月22日 | 五相会議にて「独伊両国が英米と開戦した場合、日本は原則として支持するが、現在および近い将来に参戦することは難しい」と結論 | |||
5月12日 | 満蒙国境付近でノモンハン事件勃発 - 日本軍とソ連・モンゴル連合軍との紛争 | |||
7月26日 | 日米通商航海条約の破棄を日本政府に通告 | |||
8月23日 | ドイツとソ連の間に独ソ不可侵条約締結 | |||
8月28日 | 「欧州情勢は複雑怪奇」との言葉を残し平沼内閣総辞職 | |||
8月30日 | 阿部内閣成立 | |||
9月1日 | ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる | |||
9月4日 | 阿部内閣が第二次世界大戦への不介入を表明 | |||
9月5日 | 中立を表明 | |||
9月15日 | ノモンハン事件の停戦成立 | |||
9月17日 | ソ連軍がポーランド侵攻 | |||
9月28日 | 独ソ友好条約調印(ポーランド分割占領を決定) | |||
11月30日 | ソ連がフィンランドに侵攻 | |||
12月14日 | 国際連盟がフィンランド侵略を理由にソ連を除名 | |||
1940 | 1月4日 | 錫・屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 | ||
1月16日 | 米内内閣成立 | |||
1月26日 | 日米通商航海条約失効 | |||
3月12日 | ソビエト連邦・フィンランド講和条約がモスクワで調印=冬戦争終結 | |||
3月30日 | 汪兆銘が南京で親日政府樹立(南京政府) 陸軍が日中戦争からの撤兵に関する決定を下す | |||
4月9日 | ドイツがデンマーク及びノルウェーに侵攻 デンマークの降伏 | |||
5月1日 | ドイツが西部戦線攻撃開始 | |||
5月10日 | ドイツがフランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻 イギリスでチャーチル挙国一致内閣成立 イギリスがアイスランド侵攻 | |||
5月14日 | ドイツがフランスのマジノ要塞を陥落させる | |||
5月15日 | オランダ降伏 | |||
5月28日 | ベルギー降伏 | |||
6月 | アメリカが戦時体制に移行 | |||
6月4日 | ドイツ軍がダンケルクを占領、抱囲されていた英仏軍の大半は脱出に成功 | |||
6月5日 | ドイツ軍がフランスに総攻撃を開始 | 特殊工作機械等の対日輸出を禁止 | ||
6月10日 | ノルウェー降伏 | |||
6月14日 | ドイツがパリに無血入城 | |||
6月15日 | ソ連がリトアニアに侵攻 | |||
6月17日 | ソ連がラトビア及びエストニアに侵攻 | |||
6月18日 | フランス・ド・ゴール将軍が自由フランスとしてロンドン放送で対独抗戦継続を呼びかける | |||
6月28日 | ソ連がルーマニア領に進駐 | |||
7月 | 杉原千畝がリトアニアのカウナス領事館にてユダヤ人難民などに大量のビザを発給 | |||
7月2日 | フランス政府がヴィシーに移動 | 国防強化促進法成立=大統領に輸出品目選定権限が与えられる | ||
7月10日 | 独空軍による英本土空襲開始=バトル・オブ・ブリテン | |||
7月21日 | バルト三国が独立した「社会主義共和国」であると宣言 | |||
7月22日 | 第2次近衛内閣、成立 松岡洋右が外相就任 | |||
7月23日 | ウェルズ米国務次官がバルト諸国のソ連への編入を承認しない旨を宣言 | |||
7月26日 | 閣議で基本国策要綱を決定(大東亜の新秩序・国防国家) | |||
7月27日 | 大本営政府連絡会議が「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を決定 | |||
7月31日 | 航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止 | |||
8月 | 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸 石油製品や鉄・屑鉄などを輸出許可制に改める |
|||
8月3日 | ソ連がリトアニアを併合 | |||
8月5日 | ソ連がラトビアを併合 | |||
8月6日 | ソ連がエストニアを併合 | |||
8月31日 | 杉原千畝がリトアニアを離れる | |||
9月4日 | 四相会議にて松岡が三国同盟の機密原案を提示 | |||
9月7日 | ドイツから特使スターマーが来日、三国同盟について松岡との交渉開始 | |||
9月15日 | 海軍首脳会議にて三国同盟締結に賛成の方針定まる | |||
9月19日 | 御前会議にて三国同盟締結が正式に決定される | |||
9月23日 | 北部仏印進駐、開始 | |||
9月24日 | 蒋介石政権に2500万ドルの借款を与える | |||
9月26日 | 日本への屑鉄の輸出を全面禁止 | |||
9月27日 | 日独伊三国同盟調印 | |||
10月12日 | 大政翼賛会発会式 | |||
11月 | ハンガリー・ルーマニア・スロバキア独立国が軍事同盟に加盟 | |||
11月12日 | ベルリンにてソ連のモロトフ外相とドイツのリッベントロップ外相が会談、ドイツより四国同名の提案がなされる | |||
11月15日 | ソ連のモロトフ外相が条件付きで「日独伊ソ四国同盟」を締結する準備があるとドイツに通告するも、ヒトラーは返答せず | |||
11月20日 | ハンガリーが日独伊三国同盟に加盟 | |||
11月23日 | ルーマニアが三国同盟に加盟 | |||
11月24日 | スロバキア独立国が三国同盟に加盟 | |||
1941 | 3月1日 | ブルガリアが三国同盟に加盟 | ||
6月15日 | クロアチア独立国が三国同盟に加盟 |
第1部 4章 北部仏印進駐
年号 | 日付 | 日本 | 仏印(仏)関連 | その他 |
---|---|---|---|---|
1935 | 8月30日 | 中立法が制定される | ||
1937 | 10月5日 | ルーズベルトによる隔離演説=日本を非難 | ||
3月18日 | ドイツがオーストリア併合 | |||
7月29日 | 張鼓峰事件勃発 - 日本軍とソ連軍が満州国東南端国境にて紛争 | |||
9月28日 | ミュンヘン会談(〜30日)でドイツにズデーテン地方(チェコ)割譲が決定 | |||
12月22日 | 近衛首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明) | |||
1939 | 1月4日 | 近衛内閣総辞職 - 平沼内閣成立 | ||
2月 | クレジット禁止による対日経済制裁を実施 | |||
2月10日 | 日本軍が海南島占領 | |||
5月12日 | 満蒙国境付近でノモンハン事件勃発 - 日本軍とソ連・モンゴル連合軍との紛争 | |||
7月26日 | 日米通商航海条約の破棄を日本政府に通告 | |||
8月23日 | ドイツとソ連の間に独ソ不可侵条約締結 | |||
8月28日 | 「欧州情勢は複雑怪奇」との言葉を残し平沼内閣総辞職 | |||
8月30日 | 阿部内閣成立 | |||
9月1日 | ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる | |||
9月4日 | 阿部内閣が第二次世界大戦への不介入を表明 | |||
9月5日 | アメリカが中立を表明 | |||
9月15日 | ノモンハン事件の停戦成立 | |||
9月17日 | ソ連軍がポーランド侵攻 | |||
9月28日 | 独ソ友好条約調印(ポーランド分割占領を決定) | |||
11月30日 | ソ連がフィンランドに侵攻 | |||
12月14日 | 国際連盟がフィンランド侵略を理由にソ連を除名 | |||
12月30日 | 仏印ルートを遮断するために日本が雲南鉄道の爆破、開始 | |||
1940 | 1月4日 | アメリカが錫・屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 | ||
1月5日 | 仏大使、日本機の雲南鉄道爆撃に抗議 | |||
1月16日 | 米内内閣成立 | |||
1月26日 | 日米通商航海条約失効 | |||
1月31日 | アメリカが日本機の雲南鉄道爆撃に抗議 | |||
2月 | パリで日仏交渉 = 仏印ルートの閉鎖に失敗 | |||
2月21日 | イギリスが日本機の雲南鉄道爆撃に抗議 | |||
3月12日 | ソビエト連邦・フィンランド講和条約がモスクワで調印=冬戦争終結 | |||
3月30日 | 汪兆銘が南京で親日政府樹立(南京政府) 陸軍が日中戦争からの撤兵に関する決定を下す | アメリカのハル国務長官が重慶政府支持を声明 | ||
4月9日 | ドイツがデンマーク及びノルウェーに侵攻 デンマークの降伏 |
|||
4月12日 | アメリカ軍がグリーンランド進駐 | |||
4月下旬 | 仏印の雲南鉄道の爆破再開 | |||
5月1日 | ドイツが西部戦線攻撃開始 | |||
5月7日 | 米艦隊がハワイ常駐を決定 | |||
5月10日 | ドイツがフランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻 | イギリスでチャーチル挙国一致内閣成立 イギリスが中立を表明していたアイスランド侵攻 |
||
5月14日 | ドイツがフランスのマジノ要塞を陥落させる | |||
5月15日 | オランダ降伏 | |||
5月28日 | ベルギー降伏 | |||
6月 | アメリカが戦時体制に移行 ソ連がルーマニアのベッサラビアとブコヴィナ占領 |
|||
6月4日 | ドイツ軍がダンケルクを占領、抱囲されていた英仏軍の大半は脱出に成功 | |||
6月5日 | ドイツ軍がフランスに総攻撃を開始 | アメリカが特殊工作機械等の対日輸出を禁止 | ||
6月10日 | ノルウェー降伏 | |||
6月14日 | ドイツがパリに無血入城 | |||
6月15日 | ソ連がリトアニアに侵攻 | |||
6月17日 | 独仏休戦協定、成立 | ソ連がラトビア及びエストニアに侵攻 | ||
6月18日 | 参謀本部の部課長会議 = 武力による仏印進駐が拒否される | フランス・ド・ゴール将軍が自由フランスとしてロンドン放送で対独抗戦継続を呼びかける | ||
6月19日 | 日本は仏印政府に対し、仏印ルートの閉鎖について24時間以内に回答するよう要求 | 仏印総督カトルーはアンリ駐日フランス大使の助言を受け、本国政府に請訓せずに独断で仏印ルートの閉鎖と、日本側の軍事顧問団(西原機関)の受け入れを表明 | ||
6月22日 | フランスにヴィシー政権が成立 | |||
6月28日 | ソ連がルーマニア領に進駐 | |||
6月末 | 西原一策少将を団長とする監視団がハノイに入る | 西原とカトルーによる会談開始 | ||
7月2日 | フランス政府がヴィシーに移動 | 国防強化促進法成立=大統領に輸出品目選定権限が与えられる ルーズベルトは即日、日本への石油・屑鉄以外の軍需物資の輸出を許可制に改めた |
||
7月4日 | カトルー総督が西原に攻守同盟案を提示 | |||
7月10日 | 独空軍による英本土空襲開始=バトル・オブ・ブリテン | |||
7月16日 | 仏印総督にドクー任命 | |||
7月17日 | イギリスがビルマルートの三ヶ月間閉鎖を承諾 | |||
7月21日 | バルト三国が独立した「社会主義共和国」であると宣言 | |||
7月22日 | 第2次近衛内閣、成立 松岡洋右が外相就任 | |||
7月23日 | ウェルズ米国務次官がバルト諸国のソ連への編入を承認しない旨を宣言 | |||
7月24日 | 西原 - ドクー、初会見 | |||
7月25日 | アメリカが石油製品や鉄・屑鉄を輸出許可制に改める | |||
7月26日 | 閣議で基本国策要綱を決定(大東亜の新秩序・国防国家) | |||
7月27日 | 大本営政府連絡会議が「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を決定 | |||
7月31日 | アメリカが航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止 | |||
8月 | アメリカが航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸 | |||
8月1日 | 松岡外相が仏大使に日本軍の仏印通過及び仏印内飛行場の使用を要求 | |||
8月3日 | ソ連がリトアニアを併合 | |||
8月5日 | ソ連がラトビアを併合 | |||
8月6日 | ソ連がエストニアを併合 米国務省が仏ヴィシー政権からの仏印援助物資要請を拒否 |
|||
8月8日 | 米大使が松岡に対して日本の仏印要求に関して警告を発す | |||
8月16日 | 仏ヴィシー政権が日本の対仏印要求受諾を決定 | |||
8月22日 | 松岡外相による旋風人事 = 駐米大使ら40名に帰朝命令 | |||
8月25日 | 仏大使が仏印に対する日本側軍事要求を現地交渉において承認すると言明 | |||
8月30日 | 松岡・アンリ協定、締結 = 北部仏印進駐に関する取り決め | |||
9月2日 | 米英駆逐艦・基地交換協定、成立 | |||
9月4日 | 西原とマルタンにより現地細目協定署名 | |||
9月6日 | 日本軍による仏印越境事件 | |||
9月13日 | 四相会議にて22日の北部仏印進駐強行を決定 小林蘭印特派使節がバタビヤ到着、翌日より日蘭会商開始 | |||
9月19日 | 御前会議にて三国同盟締結が正式に決定される 仏大使に対し23日零時以降北部仏印に進駐すべき旨を通告 | |||
9月20日 | グルー米大使が日本の仏印圧迫に抗議 | |||
9月22日 | 西原・マルタン協定、締結 | |||
9月23日 | 北部仏印進駐、開始=日本軍と仏印軍の間で武力衝突発生 | ハル米国務長官による日・仏印協定不承認声明 イギリスがフランス領西アフリカへ侵攻するもフランス軍に撃退される |
||
9月24日 | アメリカが蒋介石政権に2500万ドルの借款を与える | |||
9月25日 | 日本軍と仏印軍の間に停戦、成立 | |||
9月26日 | 西村兵団がハイフォン上陸 | アメリカが日本への屑鉄の輸出を全面禁止 | ||
9月27日 | 日独伊三国同盟調印 | |||
10月12日 | 大政翼賛会発会式 | |||
10月17日 | 日・蘭印交渉に関し共同声明発表、小林代表の召還を通告 | |||
10月18日 | イギリスがビルマルート再開、援蒋物資の輸送を再開 | |||
10月19日 | 閣議にて対蘭印経済発展のための施策を決定 | |||
11月5日 | 米大統領にルーズベルト3選 | |||
11月28日 | 重慶和平工作の打ち切り決定 | |||
11月30日 | 蘭印使節に芳沢謙吉を任命 | |||
11月30日 | 重慶和平工作の打ち切り決定 | |||
12月29日 | ルーズベルト米大統領によるラジオ演説 = 民主主義の大兵器廠とならん | |||
1941 | 3月11日 | アメリカで武器貸与法、成立 | ||
6月11日 | 閣議にて日・蘭印交渉打ち切りを決定 | |||
1942 | 6月22日 | 独ソ開戦 |
第1部 4章 独ソ戦
年号 | 日付 | 日本 | ドイツ | ソ連 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
1935 | 8月30日 | アメリカで中立法が制定される | |||
1936 | 11月25日 | 日独防共協定締結 | |||
1937 | 10月5日 | ルーズベルトによる隔離演説=日本を非難 | |||
3月18日 | ドイツがオーストリア併合 | ||||
7月29日 | 張鼓峰事件勃発 - 日本軍とソ連軍が満州国東南端国境にて紛争 | ||||
9月28日 | ミュンヘン会談(〜30日)でドイツにズデーテン地方(チェコ)割譲が決定 | ||||
12月22日 | 近衛首相が近衛三原則を発表(第三次近衛声明) | ||||
1939 | 1月4日 | 近衛内閣総辞職 - 平沼内閣成立 | |||
1月6日 | アメリカがクレジット禁止による対日経済制裁を実施 | ||||
2月10日 | 日本軍が海南島占領 | ||||
5月12日 | 満蒙国境付近でノモンハン事件勃発 - 日本軍とソ連・モンゴル連合軍との紛争 | ||||
5月22日 | ドイツがイタリアと「鋼鉄同盟」締結 | ||||
7月26日 | 日米通商航海条約の破棄を日本政府に通告 | ||||
8月23日 | ドイツとソ連の間に独ソ不可侵条約締結 | ||||
8月28日 | 「欧州情勢は複雑怪奇」との言葉を残し平沼内閣総辞職 | ||||
8月30日 | 阿部内閣成立 | ||||
9月1日 | ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦始まる | ||||
9月3日 | 英仏がドイツに宣戦布告 | ||||
9月4日 | 阿部内閣が第二次世界大戦への不介入を表明 | ||||
9月5日 | アメリカが中立を宣言 | ||||
9月15日 | ノモンハン事件の停戦成立 | ||||
9月17日 | ソ連軍がポーランド侵攻 | ||||
9月28日 | 独ソ友好条約調印(ポーランド分割占領を決定) | ||||
10月10日 | バルト三国がソビエト連邦の勢力圏に入る | イギリスがドイツの和平提案を拒否 | |||
11月4日 | アメリカで新たな中立法が通過。英仏は現金取引に限り、兵器の購入を認められる | ||||
11月30日 | ソ連がフィンランドに侵攻=冬戦争の開始 | ||||
12月14日 | 国際連盟がフィンランド侵略を理由にソ連を除名 | ||||
12月30日 | 仏印ルートを遮断するために日本が雲南鉄道の爆破、開始 | ||||
1940 | 1月4日 | アメリカが錫・屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 | |||
1月5日 | 仏大使、日本機の雲南鉄道爆撃に抗議 | ||||
1月16日 | 米内内閣成立 | ||||
1月26日 | 日米通商航海条約失効 | ||||
1月31日 | アメリカが日本機の雲南鉄道爆撃に抗議 | ||||
1月25日 | パリで日仏交渉 = 仏印ルートの閉鎖に失敗 | ||||
2月11日 | 独ソ経済会談にて、第一次独ソ経済協定の延長決定及び独ソ通商協定締結 | ||||
2月21日 | イギリスが日本機の雲南鉄道爆撃に抗議 | ||||
3月12日 | ソ連・フィンランド講和条約がモスクワで調印=冬戦争終結 | ||||
3月30日 | 汪兆銘が南京で親日政府樹立(南京政府) 陸軍が日中戦争からの撤兵に関する決定を下す | アメリカのハル国務長官が重慶政府支持を声明 | |||
4月9日 | ドイツがデンマーク及びノルウェーに侵攻 | デンマークの降伏 | |||
4月12日 | アメリカ軍がグリーンランド進駐 | ||||
1月26日 | 仏印の雲南鉄道の爆破再開 | ||||
5月1日 | ドイツが西部戦線攻撃開始 | ||||
5月7日 | 米艦隊がハワイ常駐を決定 | ||||
5月10日 | ドイツがフランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻 | イギリスでチャーチル挙国一致内閣成立 イギリスが中立を表明していたアイスランド侵攻 |
|||
5月14日 | ドイツがフランスのマジノ要塞を陥落させる | ||||
5月15日 | オランダ降伏 | ||||
5月28日 | ベルギー降伏 | ||||
1月18日 | ソ連がルーマニアのベッサラビアとブコヴィナ占領 | アメリカが戦時体制に移行 | |||
6月4日 | ドイツ軍がダンケルクを占領、抱囲されていた英仏軍の大半は脱出に成功 | ||||
6月5日 | ドイツ軍がフランスに総攻撃を開始 | アメリカが特殊工作機械等の対日輸出を禁止 | |||
6月10日 | ノルウェー降伏 イタリアが英仏に対し宣戦布告 |
||||
6月12日 | フランスとタイが仏泰相互不可侵条約調印 | ||||
6月14日 | ドイツがパリに無血入城 | ||||
6月15日 | ソ連がリトアニアに侵攻 | ||||
6月17日 | 独仏休戦協定、成立 | ソ連がラトビア及びエストニアに侵攻 | |||
6月18日 | 参謀本部の部課長会議 = 武力による仏印進駐が拒否される | フランス・ド・ゴール将軍が自由フランスとしてロンドン放送で対独抗戦継続を呼びかける | |||
6月19日 | 日本は仏印政府に対し、仏印ルートの閉鎖について24時間以内に回答するよう要求 = 仏印側承諾 | ||||
6月22日 | フランスにヴィシー政権が成立 | ||||
6月23日 | ド・ゴールがロンドンにおいて自由フランス委員会設立 | ||||
6月28日 | ソ連がルーマニア領 ベッサラビアと北ブコビナに進駐 | ||||
7月2日 | アメリカで国防強化促進法成立=大統領に輸出品目選定権限が与えられる ルーズベルトは即日、日本への石油・屑鉄以外の軍需物資の輸出を許可制に改めた |
||||
7月10日 | 独空軍による英本土空襲開始=バトル・オブ・ブリテン | ||||
7月16日 | 米内内閣総辞職 | ||||
7月17日 | イギリスがビルマルートの三ヶ月間閉鎖を承諾 | ||||
7月19日 | 近衛文麿・松岡洋右・東條英機・吉田善吾が会談=荻窪会談 | ヒトラーがイギリスに和平を求める国会演説を行う | |||
7月21日 | バルト三国が独立した「社会主義共和国」であると宣言 | ||||
7月22日 | 第2次近衛内閣、成立 松岡洋右が外相就任 | ||||
7月23日 | ウェルズ米国務次官がバルト諸国のソ連への編入を承認しない旨を宣言 | ||||
7月25日 | アメリカが石油製品や鉄・屑鉄を輸出許可制に改める | ||||
7月26日 | 閣議で基本国策要綱を決定(大東亜の新秩序・国防国家) | ||||
7月27日 | 大本営政府連絡会議が「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を決定 | ||||
7月31日 | アメリカが航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止 | ||||
8月 | アメリカが航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸 | ||||
8月1日 | 松岡外相が仏大使に日本軍の仏印通過及び仏印内飛行場の使用を要求 | ||||
8月3日 | ソ連がリトアニアを併合 | ||||
8月5日 | ソ連がラトビアを併合 | ||||
8月6日 | ソ連がエストニアを併合 | ||||
8月16日 | 仏ヴィシー政権が日本の対仏印要求受諾を決定 | ||||
8月22日 | 松岡外相による旋風人事 = 駐米大使ら40名に帰朝命令 | ||||
8月30日 | 松岡・アンリ協定、締結 = 北部仏印進駐に関する取り決め | ||||
9月2日 | 米英駆逐艦・基地交換協定、成立 | ||||
9月13日 | 四相会議にて22日の北部仏印進駐強行を決定 小林蘭印特派使節がバタビヤ到着、翌日より日蘭会商開始 | ||||
9月19日 | 御前会議にて三国同盟締結が正式に決定される | ||||
9月20日 | グルー米大使が日本の仏印圧迫に抗議 | ||||
9月23日 | 北部仏印進駐、開始=日本軍と仏印軍の間で武力衝突発生 | ハル米国務長官による日・仏印協定不承認声明 イギリスがフランス領西アフリカへ侵攻するもフランス軍に撃退される |
|||
9月24日 | アメリカが蒋介石政権に2500万ドルの借款を与える | ||||
9月25日 | 日本軍と仏印軍の間に停戦、成立 | ||||
9月26日 | 西村兵団がハイフォン上陸 | アメリカが日本への屑鉄の輸出を全面禁止 | |||
9月27日 | 日独伊三国同盟調印 | ||||
10月8日 | ドイツ軍がルーマニアへの駐屯を開始 | ||||
10月12日 | 大政翼賛会発会式 | ||||
10月17日 | 日・蘭印交渉に関し共同声明発表、小林代表の召還を通告 | ||||
10月18日 | イギリスがビルマルート再開、援蒋物資の輸送を再開 | ||||
10月19日 | 閣議にて対蘭印経済発展のための施策を決定 | ||||
10月31日 | バトル・オブ・ブリテン終了 | ||||
11月5日 | 米大統領にルーズベルト3選 | ||||
11月13日 | |||||
11月15日 | ベルリン訪問中のモロトフ外相に日独伊ソの四国連合が提示される | ||||
11月20日 | モロトフ外相が駐ソ独大使に「日独伊ソ四国同盟」を締結する準備があると告げる | ハンガリーが日独伊三国同盟に加盟 | |||
11月23日 | タイ・仏印紛争勃発 ルーマニアが日独伊三国同盟に加盟 |
||||
11月24日 | スロバキア共和国が日独伊三国同盟に加盟 | ||||
11月28日 | 重慶和平工作の打ち切り決定 | ||||
11月30日 | 蘭印使節に芳沢謙吉を任命 | ||||
11月30日 | 重慶和平工作の打ち切り決定 | ||||
12月18日 | ヒトラーがバルバロッサ作戦を発令 | ||||
12月29日 | ルーズベルト米大統領によるラジオ演説 = 民主主義の大兵器廠とならん | ||||
1941 | 1月10日 | 独ソ不可侵条約更新 | |||
1月21日 | 松岡外相がタイ・仏印紛争に関して調停を申入れ、両国受諾 | ||||
1月 | 「対仏印・泰施策要綱」が決定=南部仏印進駐の方針定まる | ||||
1月31日 | 日本の調停によりタイ・仏印紛争の停戦協定成立 | ||||
2月3日 | 大本営政府連絡会議で日ソ国交調整、決定 | ||||
3月1日 | ブルガリアが日独伊三国同盟に加盟 | ||||
3月11日 | アメリカで武器貸与法、成立 | ||||
3月12日 | 松岡外相が訪欧に出る | ||||
3月25日 | ユーゴスラビアが日独伊三国同盟に加盟 | ||||
3月27日 | ベルリンにて松岡・ヒトラー会談 | ユーゴスラビアにてクーデター発生 | |||
4月3日 | ドイツアフリカ軍団、北アフリカ戦線でイギリスを破る | ||||
4月6日 | ドイツ・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアがギリシャ・ユーゴスラビアに侵攻 | ||||
4月7日 | 松岡外相がモスクワ入り | ||||
4月12日 | アメリカ軍がグリーンランドへ上陸 | ||||
4月13日 | 日ソ中立条約調印 | ||||
4月16日 | 日米交渉正式に開始 大島駐独大使からドイツが対ソ戦を企画しているとの情報が伝えられる | ||||
4月17日 | ユーゴスラビア降伏 | ||||
4月22日 | 松岡外相が訪欧から帰国 | ||||
4月23日 | ギリシャ降伏 | ||||
4月25日 | 松岡がシンガポール侵攻を強く主張 | ||||
5月7日 | 松岡がシンガポール侵攻と対ソ戦について上奏 | ||||
5月8日 | 東京条約調印=タイ・フランス領インドシナ紛争終結 | ||||
5月13日 | 坂西駐独武官から「独ソ開戦必至」を伝える電報入る | ||||
5月27日 | ドイツ海軍の戦艦ビスマルク沈没 | 米大統領、国家非常事態を宣言 | |||
6月3日 | ヒトラーとリッべントロップが大島駐独大使をペルヒテスガーデンの山荘に招き、独ソ戦は不可避と伝える | ||||
6月4日 | 坂西駐独武官から「独ソ戦は確実なり。国策決定にぬかるなかれ」の電報入る | ||||
6月5日 | 大島駐独大使より松岡宛に「独ソ開戦は今や必至なり」の電報入る | ||||
6月7日 | 海軍が「独ソ新事態に対する措置」を決定=南進策の推進 | ||||
6月9日 | 参謀本部部長会議にて田中が北進論を主張 | ||||
6月10日 | 陸海軍で「南方施策促進に関する件」が合意 | ||||
6月11日 | 閣議にて日・蘭印交渉打ち切りを決定 | ||||
6月12日 | 大本営政府連絡懇談会にて「南方施策促進に関する件」が了承される | ||||
6月14日 | 陸軍が「情勢の推移に伴う国防国策の大綱」で合意 | ||||
6月22日 | 松岡が対ソ開戦をすべきと上奏 | バルバロッサ作戦発動しドイツがソ連を総攻撃=独ソ開戦 | ハンガリーが日独伊三国同盟に加盟 | ||
6月24日 | 「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」陸海軍案が決定 | ||||
6月26日 | 大本営政府連絡懇談会において松岡が即時対ソ開戦を主張 | フィンランドがソビエト連邦に対して宣戦布告=継続戦争 | |||
6月28日 | 松岡が南部仏印進駐の中止を求める | ||||
6月30日 | ドイツが日本に対ソ参戦要求、日本は拒否 | ||||
7月 | 松岡が南部仏印進駐の延期を提案するも否定される | ||||
7月1日 | アメリカが世界初となるテレビ放送を開始 | ||||
7月2日 | 御前会議にて「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」を決定 = 南部仏印進駐が決せられる | ||||
7月5日 | 駐日英国大使が南部仏印進駐に対して警告を発す | ||||
7月6日 | 関東軍特別大演習(関特演)が開始される | アメリカ軍がアイスランドへ上陸 | |||
7月12日 | 英ソ相互援助協定締結 | ||||
7月16日 | 第2次近衛内閣総辞職=松岡洋右外相更迭 | ||||
7月18日 | 第3次近衛内閣成立 | ||||
7月25日 | アメリカが在米日本資産凍結 | ||||
7月26日 | イギリスが在英日本資産凍結 | ||||
7月27日 | 蘭印が在蘭印日本資産凍結 | ||||
7月28日 | 南部仏印進駐 | ||||
8月1日 | アメリカが日本に対し石油輸出を全面禁止 | ||||
8月9日 | 参謀本部が年内の対ソ武力行使を断念 | チャーチル英首相とルーズヴェルト米大統領、大西洋会談開催 | |||
8月14日 | 大西洋憲章の調印 | ||||
9月6日 | 御前会議にて「帝国国策遂行要領」が採択される | ||||
9月8日 | レニングラード包囲戦の開始 | ||||
9月24日 | ソ連が大西洋憲章への参加を宣言 | ||||
9月27日 | ゾルゲ事件、発覚 | ||||
9月30日 | モスクワ攻防戦の開始 | ||||
10月1日 | アメリカ・イギリスがソ連に対し武器貸与約束 | ||||
10月15日 | 尾崎秀実、逮捕される | ||||
10月16日 | 近衛内閣総辞職 | ||||
10月18日 | 東条英機が首相就任 ゾルゲ、逮捕される | ||||
10月19日 | 例年よりも早い冬の訪れにより、ドイツ軍の進攻止まる | ||||
11月26日 | ハル米国務長官よりハル・ノートが提議される | ||||
12月5日 | ソ連軍によりモスクワでの反攻作戦が開始される | ||||
12月6日 | イギリスがフィンランド・ハンガリー王国・ルーマニア王国に対して宣戦布告 | ||||
12月8日 | 真珠湾攻撃=対米英宣戦布告 | ||||
1944 | 11月7日 | ゾルゲと尾崎が絞首刑に処される |
第2部 2章 レイテ沖海戦
日時 | 日本軍の動き |
---|---|
1942(昭和17年)年 | |
6月 | ミッドウェー海戦にて日本海軍が惨敗を喫する |
8月 | ソロモン海戦 |
1943(昭和18)年 | |
2月 | 日本軍、ガダルカナル島撤退 |
4月 | 山本五十六連合艦隊司令長官、戦死 |
6月 | 米軍機による本土空襲始まる |
1944(昭和19)年 | |
43555 | 海軍乙事件発生、重要機密情報が米軍に渡る |
6月11-12日 | 米機動艦隊がマリアナ空襲、第1航空艦隊ほぼ壊滅 |
43631 | 米軍がサイパン島上陸 |
43632 | B29による日本本土初空襲 |
6月19日~6月20日 | マリアナ沖海戦にて日本軍惨敗 |
43647 | 参謀本部戦争指導班が早期戦争終結を提言 |
43653 | サイパン島の日本軍が玉砕を遂げる |
43664 | 東条内閣、総辞職 |
43668 | 小磯内閣、成立 |
43672 | 捷号作戦が定まる |
43673 | ハワイにてルーズベルト大統領・マッカーサー・ニミッツが会合、次の侵攻先はフィリピンに決定される |
43680 | テニアン島の日本軍が玉砕 |
43687 | 栗田艦隊の小柳参謀長が初め捷号作戦の内容について説明を受ける |
43688 | グアム島の日本軍が玉砕 |
43699 | 沖縄から島民を疎開させるために運行した「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃によって沈没、疎開児童768名を含む約1500人が死亡 |
43718 | ダバオ誤報事件発生、2日後、セブ島・ネグロス島に集まった陸海軍機が米艦載機の攻撃を受け大損害を受ける |
43723 | 米軍がペリリュー島に上陸 |
9月21~24日 | 米機動部隊が中部フィリピン地区を空襲 |
43734 | 第十四方面軍司令官の黒田重徳が罷免され、新たに山下奉文が任命される。 |
43740 | 豊田長官らがフィリピン視察に出発 |
43743 | 一航艦司令官に大西中将が任命される |
43748 | 米38任務部隊が沖縄を空襲 |
10月12~16日 | 台湾沖航空戦、日本軍は3百数十機を失い、ほぼ同数の機体が使用不能となる。事実に基づかない過大な戦果報告は後に重大な悪影響をもたらした。 |
43755 | 米軍がスルアン島に上陸 一航艦司令官として大西中将がマニラ到着 |
43756 | 捷一号作戦が発動される |
43757 | アンガウル島の日本軍が玉砕 ハルゼーがニミッツに対し「最近、東京のラジオが撃沈したと報じた第三艦隊の船はすべて引き揚げ、目下敵に向かって退却中」と電文を送る |
43758 | 神風特攻隊として「敷島隊」(隊長関行男大尉)・「大和隊」(同久納好孚中尉)・「朝日隊」・「山桜隊」が編制される |
米軍がレイテ島に上陸 | |
豊田長官が帰国を果たす | |
43760 | マバラカット基地で新たに神風特攻隊として「菊水隊」・「葉桜隊」・「若桜隊」が編成される |
第2部 2章 レイテ陸上戦
年度 | 日付 | レイテ陸戦関連 | その他 |
---|---|---|---|
1944(昭和19)年 | 4月13日 | 第16師団司令部レイテ島進出 | |
5月2日 | 御前会議にて「比島航空要塞化」決定 | ||
6月19日 | マリアナ沖海戦にて日本軍惨敗 | ||
7月7日 | サイパン島の日本軍全滅 | ||
7月18日 | 東条内閣総辞職 | ||
7月24日 | 捷号作戦準備発令 | ||
7月28日 | 第14方面軍、第35軍新設 | ||
8月3日 | テニアン島の日本軍玉砕 | ||
8月9日 | 米軍によるダバオ空襲 | ||
9月1日 | ダバオへの本格的空襲開始 | 台湾に徴兵制施行 | |
9月9日 | 米軍によるダバオ大空襲 | ||
9月10日 | 米軍ダバオ上陸の虚報に日本軍混乱(ダバオ誤報事件) | ||
9月11日 | グアム島守備隊全滅 | ||
9月12日 | 米軍、セブ空襲 | ||
9月15日 | 米軍、ペリリュー島上陸 | ||
9月21日 | 米軍、マニラ空襲 | ||
9月26日 | 第14方面軍司令長官黒田中将罷免 | ||
10月8日 | 第14方面軍司令長官として山下将軍着任 | ||
10月10~14日 | 台湾沖航空戦 | ||
10月17日 | 米軍、スルアン島上陸 | ||
10月18日 | 捷一号作戦発令 | ||
10月19日 | 神風特別攻撃隊編成 | ||
10月20日 | 米軍、レイテ島上陸 「レイテ決戦」が決定される 第14方面軍参謀長として武藤章着任 | ||
10月22日 | 寺内元帥から山下将軍にレイテ決戦の指示下る | ||
10月23日 | 山下将軍らがレイテ決戦に反対し寺内元帥に翻意を促すも覆らず 山下将軍、第35軍鈴木司令官に対してレイテ決戦を指示 レイテ島に上陸したマッカーサーが放送にて「私は帰ってきた」と発言、オスメニア大統領のフィリピン政府設立を宣言 | ||
10月24~26日 | 比島沖海戦にて連合艦隊敗れる | ||
10月29日 | 多号作戦発令 | ||
10月30日 | 米軍、タガミ市占領、第16師団の残存兵3千は後方産地にこもり抗戦 | ||
10月31日 | 南方軍、第14方面軍と第35軍を叱責 | ||
11月1日 | 第1師団主力がオルモック上陸 | ||
11月2日 | 第35軍司令官鈴木中将がレイテ島進出 | ||
11月5日 | リモン峠にて日米交戦、リモン峠の戦い開始 マニラに米艦載機450機来襲 | ||
11月6日 | 第1師団の第57連隊、リモン峠を占領 | ||
11月7日 | 陸軍が特攻開始 連絡会議にて山下将軍と武藤参謀長が寺内元帥にレイテ島増強の即時打ち切りを提案 | ||
11月8日 | 最高戦争指導会議にてレイテ決戦の続行が決定 小磯首相による「レイテ決戦は天王山」談話 | ||
11月9日 | 山下将軍、飯村南方軍総参謀長に「レイテ作戦の即時中止」を要請 第14方面軍、第35軍にブラウエン飛行場攻撃を命令 | ||
11月10~11日 | 第26師団主力オルモック上陸、積荷のほとんどを失う | ||
11月17日 | 南方軍総司令部、マニラからサイゴンへ移る | ||
11月19日 | 第1師団にカリガラ平野進出命令下る | ||
11月23~27日 | 第26師団の一部がダムラアンで米軍と交戦 | ||
11月24日 | B29による東京初空襲 ペリリュー島の日本軍全滅 |
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11月25日 | 米機動部隊によるマニラ周辺空襲、レイテ島増援第5次「多号」輸送船団全艦船が沈没 | ||
11月26~27日 | 薫空挺隊、ブラウエン方面強行着陸に挑むも全滅 | ||
11月28日 | 第6次「多号」輸送船団がオルモックに到着、軍需品の揚陸に成功するも帰途全艦沈没、乗組員全員戦死 | ||
11月29日 | 就役したばかりの空母「信濃」、米魚雷によって沈没 | ||
12月5日 | リモン峠の第1師団が「破断界にある」と第35軍に報告 | ||
12月6日 | 第16師団の残存兵がブラウエン北飛行場を攻撃 | ||
12月6~7日 | 高千穂空挺隊によるブラウエン飛行場攻撃、ブラウエン北飛行場を制圧 | ||
12月7日 | 米軍、オルモック上陸 「和合作戦」中止 第68旅団、サン・イシドロ上陸 | ||
12月8日 | 高千穂空挺隊の残存部隊がオルモック北方のバレンシア飛行場へ降下 | ||
12月9日 | 第35軍司令部、転進開始 | ||
12月10日 | 米軍、オルモック占領 | ||
12月11日 | 米軍、パロンポン上陸 | ||
12月13日 | 米軍の大規模輸送船団がレイテ湾出港 | ||
12月14日 | 第14方面軍、レイテ決戦中止を南方軍に具申 「決号作戦」中止 オルモック北方の立石大隊全滅 大本営にて人事異動、参謀本部第一部長に宮崎中将就任 | ||
12月15日 | 米軍、ミンドロ島上陸 | ||
12月17日 | 米軍、オルモック北方ファトンにあった第35軍司令部を奇襲 | ||
12月19日 | 大本営レイテ島決戦放棄 | ||
12月20日 | オルモック南東にて斎藤支隊、最期の突撃敢行 | ||
12月21日 | 第1師団、リモン峠より転進開始 | ||
12月22日 | 新任の参謀本部第一部長宮崎中将がマニラに着き、比島作戦協議開かれる | ||
12月25日 | 第14方面軍、第35軍に「自戦自活永久抗戦」命令 米軍、レイテ作戦の終結を宣言 米軍、パロンポン上陸 | ||
12月27日 | 第35軍司令部、カンギポット着 梅津参謀総長・及川軍令部総長が天皇にレイテ決戦断念を上奏 | ||
12月31日 | 鈴木中将の元に山下将軍からの電報届く、『レイテ』島幾万の将兵に対し万斛(ばんこく)の涙あるのみ | ||
1945(昭和20)年 | 1月1日 | 小磯首相、年頭の挨拶にて「フィリピン全域が天王山」と言い換える | |
1月2日 | ルソン島上陸を目指し米軍がレイテ湾出港 | ||
1月9日 | 米軍、ルソン島リンガエン湾に上陸開始 | ||
1月12~20日 | 第1師団主力セブ島に転進=地号作戦 | ||
1月27日 | レイテ~セブ間の大発全滅 | ||
2月3~23日 | マニラ攻防戦 | ||
2月5日 | 第26師団長山縣中将、戦死 | ||
2月19日 | 米軍、硫黄島上陸 | ||
3月10日 | 東京大空襲 | ||
3月17日 | 第35軍司令部レイテ島脱出 | 硫黄島の日本軍全滅 | |
3月26日 | 米軍、セブ島上陸 | ||
3月29日 | 米軍、ネグロス島上陸 | ||
4月1日 | 米軍、沖縄上陸 | ||
4月5日 | 小磯内閣総辞職 | ||
4月7日 | 鈴木貫太郎内閣成立 | ||
4月18日 | 米軍、ミンダナオ島上陸 | ||
4月19日 | 第35軍司令官鈴木中将、ミンダナオ島渡航中に戦死 | ||
6月21日 | 沖縄戦終了 | ||
7月4日 | 第26師団長代行今堀連隊長、自決 | ||
7月5日 | マッカーサーがフィリピン諸島戦闘終了を宣言 | ||
8月10日 | 第16師団長牧野中将、師団壊滅の責任を取り自決 |