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    レキシジン第1部「大東亜/太平洋戦争への流れ」5章「日本はなぜ戦争をしたのか」#98 なぜ日本国民は大東亜戦争を圧倒的に支持したのか〜父祖たちの思い〜

    #98 なぜ日本国民は大東亜戦争を圧倒的に支持したのか〜父祖たちの思い〜

    「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」目次と序文はこちら

    第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

    日本が大東亜戦争を戦った理由として、前回は国益と恐怖と大義の3つの観点から振り返ってみました。

    今回は大東亜戦争を圧倒的に支持した父祖たちの思いについて、追いかけてみます。

    5.日本はなんのために戦ったのか

    5-3.父祖たちの思い

    当時の軍部が暴走したことで戦争が起きた、国民は軍部に騙されていた、との歴史認識があります。戦後になってGHQが植え付けた歴史認識です。

    あなたたちは軍部に騙されていた被害者なのだから悪くはない、悪いのは「東亜の解放」という偽りの看板を掲げて東亜の侵略を行った軍部です。軍部はこんなにひどいことを大戦中に行いました。日本が行った侵略戦争を反省し、軍部を糾弾しましょう!

    GHQはこのような刷り込みを、戦後の日本人に対して意図的に行いました。個人の抱える絶望感を他者への批判にすり替えることは、心理学的に見ても極めて有効です。徹底的な言論統制とプロパガンダ(政治的な宣伝)によって、日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けていったのです。

    その結果、悪いのはすべて日本軍であり、国民は騙されて戦争を支持していた被害者に過ぎないというファンタジーが生まれました。

    個人が自由に情報を発信できるネット社会が到来したことで、このような考え方は徐々に修正されつつありますが、未だ主流を為していると言えるでしょう。

    日本人のほとんどが軍部に洗脳され、血迷って戦争を始めたのではないことは、当時の世論を実際に調べてみればすぐにわかります。

    多くの文筆家や識者が大東亜戦争に対して諸手を挙げて歓迎していたことは明らかです。このことについては、序章にて既述したため、今回は省きます。

    日本の世論は圧倒的に戦争を支持していました。好戦的な世論を作ったのはマスメディアによる報道です。

    そこに軍部が関与していたことはたしかです。新聞などの報道機関を軍部が統制していた事実は否定できません。

    しかし、当時のメディアは自主的に競って好戦的な記事を配信し続けました。一部の反軍・反戦記事が規制されたことは事実ですが、そのすべてが軍部によって無理やり書かされたとするには無理があります。戦後に行われたGHQの徹底した報道規制に比べれば、当時の軍による統制下のほうが、まだしも自由に記事を書ける状況でした。

    では、なぜ新聞社は好戦的な記事ばかりに偏ったのかと言えば、新聞の発行部数を伸ばすという営利が優先されたためです。当時は好戦的な記事を書かなければ、発行部数が伸び悩む状況にありました。新聞は発行部数を伸ばすために、積極的に開戦を支持する記事で連日のように紙面を埋めたのです。

    大正が終わって昭和の初期までは、日本の世論は反軍的でした。それが変わったのは、満州事変直前の中村大尉殺害事件あたりです。この事件を契機として世論は反中国、かつ軍支持へと移り変わっていきました。

    新聞は発行部数を伸ばすために好戦的な世論に迎合し、開戦を煽る記事を量産しました。

    そうした記事に焚きつけられ、世論はますます開戦を声高に叫ぶようになりました。こうなるともう卵か先か、鶏が先か、よくわかりません。

    もはや世論は軍部の統制を超え、なおも慎重な姿勢を見せる東条首相を「腰抜け」とからかうほどです。

    東条英機
    wikipedia:東条英機 より引用
    【 人物紹介 – 東条英機(旧字体では東條英機)(とうじょう ひでき) 】1884(明治17)年 – 1948(昭和23)年
    大正-昭和時代前期の軍人・政治家。最終階級は陸軍大将。第40代内閣総理大臣。参謀本部第1課長・陸軍省軍事調査部長などを歴任し、永田鉄山らとともに統制派の中心人物となった。関東軍参謀長・陸軍次官を経て、第2次・第3次近衛内閣の陸相となり日独伊三国同盟締結と対米英開戦を主張。首相に就任後、陸相と内相を兼任、対米英開戦の最高責任者となり大東亜戦争へと踏み切った。「大東亜共栄圏」建設の理念を元に大東亜会議を主催。サイパン陥落の責任を問われて総辞職。敗戦後、ピストル自殺未遂。東京裁判にてA級戦犯とされ、絞首刑に処せられた。

    東京裁判にて「この戦争の責任は、私一人にあるのであって、天皇陛下はじめ、他の者に一切の責任はない。今私が言うた責任と言うのは、国内に対する敗戦の責任を言うのであって、対外的に、なんら間違った事はしていない。戦争は相手がある事であり、相手国の行為も審理の対象としなければならない。この裁判は、勝った者の、負けた者への報復と言うほかはない」と、アメリカの戦争犯罪を糾弾した。

    統帥権の独立や最終責任者がいなかったことなど、明治憲法下における日本の政治体制に根本的な問題があったことも、政府や軍部の指導層に誤りがあったこともたしかですが、あの当時、日本人全体が戦争を選択したことは間違いありません。当時の日本人は圧倒的に開戦を支持しました。

    だからといって、当時の日本人が今よりも好戦的だったのかと言えば、そんなことはありません。国家のために戦いに殉じた人は数多くいますが、その人たちの大半は、今の私たちと同様に平凡な市民生活を送っていた市井の人々に過ぎません。

    「軍部」と言っても、実際には職業軍人などわずかです。フィリピンやガダルカナル、硫黄島など、本土から遠く離れた地にて実際に戦って死んでいった兵士は、赤紙一枚で徴集を受けただけのごく平凡な一般国民でした。

    誰だって死ぬのは怖いし、家族と離れて戦地へ赴きたくないと思うのは、現代を生きる私たちと、なんら変わるはずもありません。

    それでも日本人の多くは父母や妻、子供たちや兄弟姉妹、恋人や友など愛する人たちを守るために、そして郷土を守るために、断ち切りがたい未練を無理やり断ち切って戦場へ赴きました。

    日本人の大半が米英との戦争を正義の戦いと信じ、戦火のなかに自らの身を投じました。

    そのすべてを軍の強制で説明することは、到底不可能です。

    だからこそ、後世を任された私たちには、父祖たちの無念の思いを汲み取る義務があると言えるでしょう。

    もちろん、日本人全員が日本の掲げた大義を信じて戦いに殉じたわけではありません。しかし多くの日本人が、アジアの国々を搾取する白人の植民地支配に怒りを覚えていたことも事実です。人種差別への怒りは、当時を生きる人々の多くが共有していました。

    そのことは1945(昭和20)年7月11日にアメリカの新聞各紙に一斉に掲載された日本軍将校の手紙からも明らかです。

    - ルーズベルトに与うる書 -

    大東亜戦争において日米でもっとも激しい戦いが繰り広げられた戦場の一つとされるのが、小笠原諸島の南端に位置する「硫黄島の戦い」です。1945(昭和20)年の2月19日に米軍が上陸したことで戦闘が始まり、3月26日に最後に残された日本軍が玉砕を遂げることで、戦闘が終わりました。

    硫黄島が米軍の手に落ちるということは、米軍によって硫黄島から日本本土への空襲が可能になることを意味していました。

    硫黄島にいた守備隊は、栗林忠道中将率いる陸軍1万3,586名、市丸利之助少将率いる海軍7,347名の合計2万933名です。

    栗林忠道(くりばやし ただみち)
    wikipedia:栗林忠道 より引用
    【 人物紹介 – 栗林忠道(くりばやし ただみち) 】1891(明治24)年 ‐ 1945(昭和20)年
    大正-昭和時代前期の軍人。最終階級は陸軍大将。騎兵第一旅団長などを経て第23軍参謀長に就任。開戦後の香港の戦いにおいて18日間でイギリス軍を撃破して香港を制圧した。のち小笠原方面の防衛のために新たに編成された第109師団長となり、硫黄島に着任。海軍部隊も指揮下におき「小笠原方面陸海軍最高指揮官」となる。従来、島を防衛する際は敵の上陸時を叩く「水際作戦」をとることが日本軍の方針だったが、これを退け、長大かつ堅牢な地下陣地を構築したうえで、不用意なバンザイ突撃による玉砕を厳禁し、部下に徹底抗戦を指示した。米軍は当初、圧倒的な軍事力を背景に5日間で制圧できる見通しを立てていたが、戦闘は1ヶ月を超え、大きな損害を出すに至った。最後は抜刀して残存将兵400名の先頭に立ち、米軍が占領している飛行場に突入。右大腿部に重傷を負い、その場で自決を遂げた。

    わずか22km2(東京都北区程度の面積)に過ぎない硫黄島を、日本軍の3倍以上の兵力、および絶対的な制海権・制空権を持ち、予備兵力・物量・兵站・装備全てにおいて、圧倒的に優勢であったアメリカ軍の攻撃に対し、最後まで将兵や兵士の士気を低下させずに、アメリカ軍の予想を上回る1ヶ月半も硫黄島を防衛した指揮力は、アメリカ合衆国でも高く評価されている。アメリカでの硫黄島の戦いの状況と栗林の知名度は高く、戦後、軍事史研究家やアメリカ軍軍人に対し、「太平洋戦争における日本軍人で優秀な指揮官は誰であるか」と質問した際「栗林将軍(英: General Kuribayashi)」と、栗林忠道の名前を挙げる人物が多い。国内においても、大東亜戦争中の最大の名将と称えられている。

    市丸利之助(いちまる りのすけ)
    wikipedia:市丸利之助 より引用
    【 人物紹介 – 市丸利之助(いちまる りのすけ) 】1891(明治24)年) – 1945(昭和20)年
    大正-昭和時代前期の軍人。最終階級は海軍中将。予科練設立委員長となり、次いで初代部長として教育にあたり、予科練育ての親と呼ばれている。予科練では「兵である前に人であれ」と訓示していた。大戦中は第二十一航空戦隊司令官として南方戦線で指揮をとり、次いで第十三連合航空隊司令官として内地防空にあたる。のち第二十七航空戦隊司令官として硫黄島に赴任し、栗林中将の下、硫黄島の戦いにて海軍を指揮した。硫黄島にて戦死。アメリカ大統領ルーズベルトに宛てた手紙を残し、戦後有名となる。手紙はアナポリス博物館に保管されている。

    そこへ11万の米軍が襲いかかりました。兵力・装備ともに米軍が圧倒するなか、日本軍は地下の坑道に築いた陣地に潜り込み、徹底抗戦を続けます。

    戦いが終わったとき、日本軍は全兵力の96%にあたる20,129名が戦死あるいは戦闘中の行方不明となり、米軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の死傷者を出しました。

    サイパン・テニアン・グアム島では米軍の勝利は一方的でしたが、硫黄島においては米軍の死傷者の合計が日本軍をはるかに上回っています。

    圧倒的な軍事力を誇る米軍を前に、わずかな兵と心細い装備にもかかわらず、米軍の予想をはるかに超えて徹底的に抗戦したことは、「敵ながらあっぱれ」という思いをアメリカ中に知らしめました。

    アメリカが硫黄島の戦いを指揮した栗林中将を敵将として憎悪するのではなく、稀代(きたい)の智将として感嘆の対象としているのは、そのためです。

    前述のアメリカの新聞に掲載されたのは、硫黄島にて海軍の兵を指揮した市丸司令官が遺した手紙です。

    市丸は最後の総攻撃を行う直前に兵を前に、薄暗い地下壕のなかでしたためた「ルーズベルトに与うる書」と題した手紙を朗読しました。

    フランクリン・ルーズベルト
    wikipedia:フランクリン・ルーズベルト より引用
    【 人物紹介 – フランクリン・ルーズベルト 】1882年 – 1945年
    アメリカの政治家。第32代大統領(1933年 – 1945年)。第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは従兄に当たる。名前のイニシャルをとってFDRと呼ばれることも多い。アメリカ史上唯一の重度の身体障害を持った(両足が不自由だった)大統領であり、アメリカ政治史上で唯一4選された大統領。ウィルソン大統領のもとで海軍次官となり、アメリカ海軍の拡張に尽力。ニューヨーク州知事を経て大統領就任。世界恐慌に際してニューディール政策を敢行し、アメリカ経済を建て直す。「中国びいき」で知られ、日中戦争の際に蒋介石を強く支持し莫大な軍事費の借款を行った。シカゴにて「隔離演説」を行う。一方、日本に対しては敵がい心を剥き出しにした徹底した対日強硬策をとり、対日政策として石油を売らない経済制裁を実施、対日開戦の直接のきっかけとなるハルノートを突きつけた。日本の真珠湾攻撃を契機に第二次大戦に参加。

    史上最大の軍拡・軍需経済・戦時経済の著しい増大によってアメリカ経済を完全に回復させた。大戦中は日系アメリカ人強制収容を行う。チャーチル・スターリンとのヤルタ会談では、千島列島をソ連に引き渡すことを条件に日ソ中立条約の一方的破棄によるソ連の参戦を促した。第二次世界大戦の勝利を目前に脳卒中で倒れ死亡。歴代アメリカ合衆国大統領のランキングでの人気投票でほぼ上位5傑に入るなど、現在でもアメリカ国民からの支持は根強い。しかし、日米開戦に至る陰謀論や人種差別者であったこと、及びソ連共産党への友好的な態度には批判が絶えない。日本兵の腕の骨から作られたレターオープナーを贈呈され、喜んで受け取るなど、猟奇的な行為が多かったことでも知られる。

    そのあと、日本語の原文と英語に訳した文を部下に託し、最後の突撃を敢行しています。手紙は米軍が戦死者の死体を検分していた際に発見され、従軍していた新聞記者を通して米本土の新聞社に届けられました。

    その全文が掲載されたことで、アメリカではそれなりの反響を呼んでいます。

    果たして市丸司令官は、ルーズベルトに何を伝えたかったのでしょうか?

    以下に市丸司令官の手紙の一部を、現代の口語に置き換えて紹介します。なお原文については全文を<注釈- 5-3-1>に掲載しました。

    ルーズベルトに与うる書

    日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。 私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。

    日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間、日本国の歩みは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清・日露・第一次世界大戦・満州事変・支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。

    これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄禍(黄色人種による禍い)であると言って見下したり、あるいは日本の軍閥の独断専行であるとしています。

    けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。

    あなたは真珠湾の不意打ちを理由に対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、そもそも日本が自滅を免れるため、このような戦争を始めるほかない窮地にまで追い詰めらた様々な事情については、あなた自身が最もよく知っていることでしょう。

    (略)

    わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜を抑えることができません。

    なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。 わたしたちは、そんなあなた方の精神の貧弱さを悲しく思い、一言することによって、あなたたちが少しでも後悔してくれれば良いと思います。

    あなた方のすることは白人、とくにアングロサクソン(アメリカとイギリスの主な民族)が世界の利益を独り占めしようとし、有色人種を、その野望を実現するための奴隷として扱おうとするものに他なりません。

    そのためにあなたがたは邪悪な政策をとって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」(筆者注:フィリピンの植民地支配を指すものと思われます)によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてしています。

    近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を仇(かたき)、あるいは野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を叫ぶようになりました。 それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのでしょうか?

    大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立し、それぞれの民族が我々の善政を謳歌しています。あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界に渡る恒久的平和が訪れることは、けして遠くはないでしょう。

    あなた方はすでに充分な繁栄を遂げているのに、満足することがありません。数百年来に渡ってあなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ろうとするのでしょうか。

    ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
    あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。

    大東亜共栄圏の存在は、少しもあなた方の存在を否定しません。 むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものであって、日本天皇の真意は、これに他なりません。

    あなたにこのことを理解する大らかな度量があることを、希望してやみません。

    ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか、痛感し嘆かざるをえません。

    今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、第一次大戦終結に際して、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツに押しつけ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは見過ごすことのできない事実です。

    あなた方が善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?

    およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ません。

    あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。

    けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。 願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍(てつ)を踏むことがないようにしていただきたいと願います。
                                 市丸海軍少将

    全米で絶賛された市丸中将の米国大統領宛の手紙を元に手を加えています。

    ヨシフ・スターリン
    wikipedia:ヨシフ・スターリン より引用
    【 人物紹介 – ヨシフ・スターリン 】1878年– 1953年
    ソ連の政治家・軍人。ソ連第2代最高指導者。チフリス高等神学校に在学中グルジアの愛国的社会主義団体に加入しマルクス主義に接近。神学校から追放された後、職業革命家となり革命まで逮捕・流刑・逃亡を繰り返す。ロシア革命ではレーニンを助けて活躍。レーニンの死後、一国社会主義論を唱えてトロツキーら反対派を次々に追放し、独裁体制を固めた。「スターリン憲法」を定め、膨大な数の党員を投獄・処刑する「大粛清」を実行。第2次世界大戦では国防会議議長・赤軍最高司令官として戦争を指揮。独ソ戦では緒戦で大敗北を喫したが、米英などと共同戦線を結成し対ドイツ戦を勝利に導く。ヤルタ会談に基づき日ソ中立条約を一方的に破棄して満州侵略、多くの日本人民間人を虐殺した。終戦の翌日、北海道の北半分(釧路市と留萌市を結ぶ線以北)に対してソ連の占領を認めるよう米大統領トルーマンに要求。樺太・千島列島への侵攻を開始したが、日本軍に阻まれ北海道上陸を断念。戦後は東欧諸国の社会主義化を推進した。
    ウッドロウ・ウィルソン
    wikipedia:ウッドロウ・ウィルソン より引用
    【 人物紹介 – ウッドロウ・ウィルソン 】1856年 – 1924年
    アメリカの政治家。民主党から出馬し、セオドア=ローズヴェルト(革新党)を破って当選し第28代大統領(在職1913~1921年)となった。第一次世界大戦が始まると当初は中立を宣言し交戦国間の調停を模索したが、後にドイツに対する宣戦布告をおこなった。民族自決を旨とする14カ条の原則を発表し、戦争の終結と戦後世界の構想に向けての大きな指針となった。しかし、独立を認められたのは白人である東欧の諸民族だけに限定され、非白人であるアジア諸民族の独立の要求は認められなかった。国際連盟の創設を提唱するも、議会で否決されたためアメリカの加盟は見送られる。大統領就任中に病に倒れ、2年に渡り妻が国政を見ていたことが死後に明らかとなり、波紋を呼んだ。

    死を目前に控えているにもかかわらず、それでも極めて冷静な文章を市丸は綴っています。けしてルーズベルトを罵倒する言葉を投げかけてはいません。

    そこに貫かれているのは、世界制覇を目論む国家として米英を位置づけ、大東亜共栄圏によって東洋の解放を実現しようとする日本の行動を正義と位置づける視点です。

    自国の正義を主張し、相手国の悪辣(あくらつ)さを指摘することは、いかなる戦争においても見られます。

    その結果、戦いに勝った側の正義と敗れた側の悪のみが残り、敗戦国の主張した正義は否定されます。

    大東亜戦争についても同様です。ことにGHQによる情報操作は過去に例を見ないほどに徹底され、日本が依拠した正義は完膚(かんぷ)なきまでに葬られました。

    しかし、市丸が日本の大義を信じて殉じたように、当時を生きた私たちの父祖の多くが同じ思いを共有していました。

    市丸の主張は、けして的外れなものでも、誤解に基づいたものでもありません。大航海時代以降、白人がアジアに為してきたことを思えば、今次の戦争がアジアに暮らす人々に自由をもたらすための戦いであるとする認識は、大筋において間違いではありません。

    まして欧米諸国のアジアにおける脅威は、市丸らにとってけして過去のことではなく、現在この瞬間も進行していることでした。市丸が生まれたときにはハワイは独立国であり、フィリピンはスペイン領です。

    アメリカは軍事力を背景にハワイを無理やり自国領に組み込み、スペインからの独立を宣言したフィリピンに大軍を送り込んでは戦争を仕掛け、フィリピンを植民地としました。その際、フィリピンの民間人20~150万人が犠牲になっています。刻々と移り変わる、その惨状を、市丸はリアルタイムに見聞きしてきました。

    白人による有色人種支配の非を説き、アジアの民族自決を助けることは、日本にとっての揺るぎない大義です。

    もちろん、その主張に少なからぬ矛盾をはらんでいたことも事実です。「大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立し、それぞれの民族が我々の善政を謳歌しています。」との市丸の指摘は、必ずしも正しいものとは言えません。

    アジア各地から米英蘭の軍を叩き出したこと自体は歓迎されても、理想とは裏腹に、駐屯時に日本軍が現地の住民の反発を招いた事例は事欠きません。事態は日本の抱える理想通りには進展しませんでした。

    ですが、だからといって日本の大義が否定されてよいわけではありません。市丸が指摘しているように、アメリカが掲げた民主主義対ファシズムという大義もソ連という大きな矛盾をはらんでいます。

    ソ連や中国共産党は、民主主義の対極にある存在でした。そのことは戦後に明らかになります。

    日本にしてもアメリカにしても、大義に矛盾を抱えていたことに違いはありません

    勝敗ははっきり分かれたとは言え、アメリカをはじめとする連合国の兵士のみが正義のために勇敢に戦ったと見なされる一方で、日本の兵には正義がなく、軍部に騙されて侵略の手先となって死んでいったのだと貶(おとし)めることは、正しいこととは言えません。

    愛する人や郷土を守るために戦ったという事実、ひいては国家のために戦ったという事実、とりもなおさず国家の掲げる大義のために戦ったという事実は、勝ち負けに関係なく、双方ともに讃えられるべきです。

    あの時代、出征した兵にしても銃後を生きた人々にとっても、自分たちが戦う意味を東亜の解放という大義に託していました。

    そうした父祖たちの思いを汲み取ることは、後事を任された私たちに今こそ必要なことではないでしょうか。

    父祖たちの思いを確認したところで、次回はアジア解放の理想と現実の間に横たわる矛盾について、追いかけます。

    <注釈- 5-3-1>
    日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。

    我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。

    日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。

    之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。

    貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。

    畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。

    之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。

    我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。

    我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。

    我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。

    之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。

    卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。

    之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。

    近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。

    大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。

    卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。

    只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。

    卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。

    大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。

    飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。

    今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。

    卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。

    凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。

    卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。

    願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。

    市丸海軍少将

    ドン山本
    ドン山本
    タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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    1コメント

    1. この様な日本国人をだめにしたのは、毛利藩【長州】この連中です、この長州は大東亜戦争まで起こしていまだ健在とは日本人として残念です、現在の林外務大臣は長州の人間です、安部慎太郎の息子は安部信三です【この人間は朝鮮人です】この朝鮮人により日本国は駄目にされる、皆さんは分かりますか、朝鮮半島は5千年間は無人の半島ですこれは日本国の故文書に書いてあります、そこに日本国の領土である任那がありなぜ韓国人が住んでいるのか不思議です、アメリカ占領軍は日本国民を弱体化するために3S計画を立て事項する、それからは日本人はやる気がなくなり現在の姿です、代替アメリカ本土はインデアンと縄文人が仲良く暮らしていた大陸でした、白人は大航海時代などとことをつけて他人の領土を奪い去り悪い白人です。

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