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    レキシジン4章「大戦へのカウントダウン」1941年 戦争回避のための日米交渉#64 言語の壁。アメリカの暗号解読ミスが生んだ深刻なすれ違い

    #64 言語の壁。アメリカの暗号解読ミスが生んだ深刻なすれ違い

    「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」目次と序文はこちら

    第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

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    第1部4章 日米交渉(5/36)昭和史を語る上で外せない「松岡外交」その功罪とは?

    日米開戦までのカウントダウン

    大東亜戦争 日米交渉 暗号解読が生んだ深刻なすれ違い
    7月29日 南部仏印進駐より引用
    メコン川河口のサンジャックに上陸する近衛歩兵第4連隊

    前回まで日米諒解案をめぐる日米の駆け引きについて紹介しました。この時期のアメリカは時間稼ぎのみに終始することなく、日本との和平を真剣に望んでいたと考えられています。

    しかし、有利な風が吹いていたにもかかわらず、日本は結果的に好機を逃してしまいました。

    独ソ開戦によってアメリカの対日政策は大きく塗り替えられ、日本への風当たりは強くなるばかりです。

    さらに日本軍による南部仏印進駐は、日米関係に深刻な亀裂をもたらしたのです。

    今回から南部仏印進駐をめぐる日米交渉について、追いかけていきます。

    4-3.南部仏印進駐と日米交渉

    南部仏印進駐が国策として決定された過程については先に詳しく追いかけてきたため、ここでは省きます。
    ▶ 関連リンク:独ソ戦の衝撃がもたらした南進への道 - その5.武力行使も辞さない南部仏印進駐への道

    外相が松岡から豊田に替わったことにより、日本の外交方針には大きな変化が現れました。松岡外交によりドイツに傾倒していた姿勢が改められ、ドイツと距離を置くことでアメリカに歩み寄る姿勢が鮮明になりつつあったのです。豊田が何かと理由を付けてはオットー独大使を近づけないようにしたことにも、そのことは表れていました。

    しかし、親米派の豊田外相のもとで外交方針の転換が為されたものの、日米交渉を破綻へと導く事件がすでに動き始めていました。松岡外相在任中の7月2日の御前会議にて決せられた南部仏印進駐です。

    すでに決した国策は、外相の首をすり替えた程度で収まるはずもなく、日本は南部仏印進駐を実行に移しました。そのことがアメリカによる事実上の対日石油全面禁止を呼び込み、日本は対米戦争へと突き進むよりなくなったのです。

    南部仏印進駐の実行過程と、そのことが日米交渉にもたらした影響について、追いかけてみます。

    その1.暗号解読によって生じたすれ違い

    - 双方で読み違えた相手国の思惑 -

    南部仏印進駐を巡っては、日本とアメリカとで認識が大きくかけ離れていました。日本としては南部仏印進駐に対してアメリカが過激な制裁措置に出るとは、思ってもいないことでした。しかし、アメリカにとって日本軍の南部仏印進駐は南進への第一歩であり、けして放置できない大問題だったのです。

    実際にたどった歴史をたどれば、アメリカがなぜ南部仏印進駐を重大事と受けたのかが見えてきます。

    アメリカから見て日中戦争は、日本による中国侵略です。さらに日本はフランスがナチス・ドイツに降伏したことに便乗して南部仏印に進駐し、日米開戦と同時に英領マレーを侵略すると、アジアにおけるイギリス最大の拠点であったシンガポールを陥落させ、蘭印のオランダ軍を破り、英領ビルマも占領下におきました。

    この一連の動きをアメリカは、日本が周到に計画して為した戦略だったと受け止めました。この動きのなかで、南部仏印進駐こそは南進のはじめの一歩であったことがわかります。

    南部仏印進駐を許せば、シンガポールや英領マレー・蘭印、さらにはフィリピンまでが日本軍の手に落ちることは十分に想定できることでした。

    日本軍が南部仏印のサイゴンにまで駒を進めたことにより、シンガポールが空襲圏に入ったと英米側は危機感を募らせたのです。

    しかし、日本側には南部仏印進駐の時点では、英領マレーや蘭印、さらにはフィリピンまで武力侵攻しようとする思惑はありません。

    先にも紹介したように、日本にとって南部仏印進駐は南進の終わりであって、はじまりではなかったのです。
    ▶ 関連リンク:第1部 4章 3.独ソ戦(7/12)南部仏印進駐への道 – その5.武力行使も辞さない南部仏印進駐への道

    ところが日米ともに相手国の思惑を完全に読み違えていました。日本側の情勢判断が甘かったこと、及び独ソ開戦に伴う日本軍の北進への恐れがアメリカの過剰な経済制裁に繋がったことは先に詳述したため、ここでは省きます。

    ここではアメリカが日本の思惑を読み違えた原因として、暗号解読の問題について追いかけてみます。

    - 飜訳過程のミスはなぜ生じたのか -

    アメリカ側が南部仏印進駐についての日本の思惑を読み違えた最大の原因は、暗号解読の飜訳において生じた誤読にあります。

    まだインターネットがない当時において、東京の外務省本省とワシントンにある駐米日本大使館の間で意思の疎通に使われていたのは、外交電文です。

    外交電文には他国に洩らしてはならない機密事項が多く含まれていたため、暗号化されるのが一般的です。日本も当然、複雑な暗号をかけていました。

    ところがアメリカの陸海軍の情報部では、日米交渉が始まった頃には日本の外交電文に使われる暗号の傍受と解読に、すでに成功しています。こうして得られた情報を「マジック」と呼んでいたことは、先述の通りです。

    外交電文と言っても、通常の日本語のように漢字が交じった文章が送受信されるわけではありません。モールス信号による打電であったため、そもそも漢字は使えません。文章はすべてカナ文字でした。しかも電文は短ければ短いほどよいため、句読点はすべて省略されています。

    口語体よりも文語体の方が短文に適しているため、もっぱら文語体が用いられました。多くの略語が使用されるなか、漢字や故事・四字熟語などがカナ文字のまま多用されるのが外交電文の特徴です。

    暗号を解読するということは、この全文カナ文字の元の文章が判明することを意味します。しかし、そこで作業が終わるわけではありません。

    日本語を知らない大統領や国務長官が理解できるようにするためには、これを英文に飜訳しなければなりません。飜訳のためには当然ながら、全文カナ文字に推測によって句読点を入れ、適切な漢字に変換した日本語に直す作業が必要です。

    そのためにはかなり高度な日本語の知識を必要とします。

    全文カナ文字で句読点がなく、難しい漢字や四字熟語などが散りばめられた電文を見せられては、日本人でも100%正しく元の文章を再現することは難しいでしょう。

    まして、日本語を母国語としない外国人が飜訳するとなると極めて難解な作業です。

    なにせ日本語には同じ発音でありながら、漢字に直すと意味がまったく異なる言葉が数多く存在します。たとえば「コウショウ」にしても、「交渉・高尚・校章・考証・公称・哄笑・公証・工商・工匠」など48個もの漢字が存在します。

    カナ文にどの漢字を当てはめるかで意味がまったく違ってきます。こうした同音異義語の多い日本語文を英訳する作業を、さほど日本語に堪能でないアメリカ人が行ったのです。

    実際に誰が飜訳に当たったのかはよくわかっていませんが、少なくとも日本語を母国語とする人はスパイ行為を疑われるため入っていなかった、と言われています。

    当時は日本語の専門家自体が少なく、在日経験のある神父やビジネスマンなどが集められて翻訳作業に当たったと見られています。また、飜訳に当たった人数も極端に少なかったと指摘されています。

    アメリカ海軍省通信部翻訳課に勤務していたアルウィン・D・クレ-マ-海軍大佐の証言によれば、1941年11月の時点で実際に英訳作業を担当していた部下は6人しかいませんでした。そのうちの3人は日本語が堪能でしたが、残る3人はまだ訓練中だったとしています。

    しかも、英訳のための時間をどれだけ費やしてもかまわない研究論文とは異なり、外交電文は一刻を争う文書であるだけに、短時間でさっさと飜訳しなければなりません。そこに誤訳が生じるのは当然といえるでしょう。

    実際の外交電文と飜訳された文章の間には大きな食い違いが多々生じていたのです。

    - 飜訳に伴う偏見と改ざん -

    飜訳の過程において一つのキーワードを誤訳したために、芋づる式に元の文章とはまったく異なる訳文が生成されることは珍しくありません。なぜなら人は、キーワードの誤訳によって文章全体の意味が通じないとなると、都合の悪い文を削除したり、新たに原文にはない文章を追加することがあるからです。

    文章全体の整合性を取るために、そうした作業はどうしても必要になってきます。マジック情報にも、それは当てはまります。暗号解読に伴う誤訳に加え、原文の削除や原文にない文章の追加は、かなり指摘されています。

    飜訳官の立場に立てば、そうせざるを得ない状況はよくわかります。キーワードを誤訳したまま素直に英訳したのでは、誰が読んでも何を言っているのか意味不明な英訳文ができあがるだけです。そのままの状態で上に提出するとなると、飜訳能力に問題があることが一目瞭然となり、解雇されるかもしれません。

    自然な意味の通じる文章にするためには、矛盾する文を丸ごと削ったり、わかりやすいように勝手に説明文を加えるよりありません。

    つまり、飜訳官のさじ加減によって電文の内容は大きく左右されることになります。そこに不適切なバイアスがかかることもありました。

    たとえば先述のクレ-マ-海軍大佐は日本語に対して偏見をもっていました。

    さらに付言すべきは、クレ-マ-の日本語に対する認識についてである。日本人は「その本当の意味よりもマイルド[おとなしい椀曲的]な表現を用いる傾向がある」というもので、それを翻訳する際には「よりハードな表現」、つまり、きつい表現に訳すべきだと主張しているのである。つまり、日本語では実際に表現したい真意をそのままストレートにいわず、それをオブラートに包んだ「柔らかい表現」 にする傾向があるとのイメージを抱いていたため、その暗号文を「より攻撃的、好戦的に英訳するほうが本来の意味に近くなる」と信じている班長が、英訳チ-ムの責任者だったのである。

    そして、彼の上官だったローレンス・F・サフォード課長も、彼とほぽ同意見だった。

    暗号名はマジック 太平洋戦争が起こった本当の理由』小松啓一郎著(KKベストセラーズ)より引用

    日本人が欧米人ほどには言いたいことをストレートに表現しない傾向にあることはたしかです。日本にはあえて言葉として表さなくても、相手の言外の気持ちを汲み取ろうとする文化が根付いています。「行間を読む」といった表現は、今日においてもよく使われています。

    しかし、日本人が書いた文章だからといってすべてに「原文よりきっく訳すのが正しい」という偏見に満ちたバイアスをかけるのであれば、真意が伝わらないどころか、ときにねじ曲げられることは明らかです。

    まして当時のアメリカ人は、ただでさえ日本人に対する偏見に満ちていました。日本人は好戦的で野蛮だ、狡猾で何を考えてるかわからず不気味だ、中国をはじめとして世界支配を企み侵略を繰り返している、西洋の秩序を破壊しようとしている等々、黄禍論や人種差別を巻き込みつつ、日本人を悪者扱いする偏見を大半のアメリカ人が共通してもっていました。

    飜訳官とて例外ではありません。日本人が本気で和平など望んでいるはずがない、我々を騙そうと時間稼ぎをしているだけだ、日本人の邪悪な本音は解読した暗号に隠れているに違いない、そうした思い込みのもとで翻訳作業が行われたことは想像に難くありません。

    かくして暗号文の飜訳過程において、日本側の真意を真逆に受け取ったり、誤解して受け取ることが度々繰り返されたのです。

    - 誤解された南部仏印進駐の意図 -

    南部仏印進駐にまつわる外交電文でも誤読は多く見られました。たとえば7月14日に松岡外相から野村大使に送られた電文です。それは南部仏印進駐の目的を野村に伝え、アメリカに対する応対について指示する重要な電文でした。そこで松岡は、南部仏印進駐は「仏印南部を獲得」するためであって、さらに南方に進もうとしているわけではないと二度にわたって強調しています。このことが戦争を予防することになるのだと、念を押していました。

    その電文が素直に原文のまま訳されてさえいれば、日本側の真意が正確に伝わったかもしれません。しかし、海軍情報部の飜訳官は松岡の電文を大幅に削除し、戦争を回避したいという日本側のニュアンスをあえて伝わりにくい誤訳をしています。

    そのため南部仏印進駐が南進の始まりではないとする日本側の真意は、アメリカに伝わりませんでした。

    さらに7月15日に東京からベルリンへ宛てに発信された電文を、米海軍情報部は18日に解読しています。

    飜訳された英文では「これは、我々の南進への第一歩を記すと同時に、英米と我々の関係における重要かつ死活的一歩を意味する。」と書かれている文があります。

    「死活的一歩」という言葉からは、日本側の戦争をも辞さないとする強い覚悟が読み取れます。

    ところが原文は「右ハ我方南進ノ第一歩タルト共ニ英米ニ対スル重大ナル牽制手段ニシテ」と記されています。

    「牽制手段」がなぜか「死活的一歩」と誤訳されていることがわかります。「原文よりきっく訳すのが正しい」とする飜訳官の偏見が反映されていたのかもしれません。南部仏印進駐がアメリカの動きを牽制するための手段に過ぎないのか、それとも戦争をも辞さない「死活的一歩」なのかは大違いです。

    「死活的一歩」と誤訳されたことにより、南部仏印進駐に対してアメリカ側の警戒心をかき立てたことは間違いないといえるでしょう。

    他にも「戦争を辞せざる覚悟をもって」という言葉が「戦争を始める決意をした」と曲解されたり、カナ文の「シンニセンソウ」を正しくは「真に戦争」となるところを「新に戦争」と誤読された事例もあります。

    「新に戦争」と飜訳されたことにより、日本が新たな戦争を始める気だと捉えられる結果を招きました。日本側にそのような意図はまったくなかったにもかかわらず、誤訳されたマジック情報によって日本が挑発的な姿勢を見せていると、アメリカ側の不興を買うことになったのです。

    さらに事態を悪化させたのは松岡が発信した訓電でした。ドイツに傾倒している松岡の訓電は、過激な内容を多く含んでいました。

    松岡が平時においてさえ相手を威圧するように大風呂敷を広げた物言いをすることは、これまでも度々指摘してきました。まして訓電は内部文書に過ぎず、上司が部下に対して指導するための電文であるため、ことさら過激になる傾向がありました。

    それは日本政府や軍部が抱いている一般的な見解や判断とは相容れないものでしたが、その積み重ねがアメリカ側の不信感を増幅させました。

    その結果としてアメリカは南部仏印進駐に日本の悪意を汲み取り、過敏な反応を示すことになったのです。

    - 日米交渉を阻んだ言語の壁 -

    問題はハル国務長官にしてもルーズベルト大統領にしても、手にしたマジック情報に飜訳の過程でミスが生じているとは、まったく考えていなかったことです。

    マジック情報に書かれていることを日本側の本音であると、彼らは何ら疑うことなく確信しました。

    そのため、日本が正規ルートで行った外交とマジック情報が矛盾する場合、後者の方が日本の本音であると見なしたのです。

    もともとマジック情報は誤訳と偏見に満ちているため、日本側の正式な外交文書や外交交渉の場での言説と一致しないことは当たり前です。その際、常にマジック情報が正しいと判断するのが、ハルとルーズベルトに共通したやり方でした。

    ハルは回顧録にて述べています。

    われわれがこれを知っていたのは、陸海軍の暗号専門家が驚くべき手腕を見せて日本の暗号を解き、東京からワシントンその他の首都に送られる日本政府の通信を解読したうえ、翻訳して国務省に送りとどけていたからである。

    この解読情報は「魔術」という名前がついていたもので、交渉の初めのうちは大して役に立たなかったが、最後の段階では大きな役割を演じた。これによってわれわれは、日本の外務大臣が野村その他の代表に送っている訓令の多くを知ることが出来、野村が私との会談について東京に送っている報告も知ることが出来た。そしてこれらは、日本政府がわれわれと平和会談を行いながら、一方では侵略計画を進めていることを示していた。これらの傍受電報を見ていると、自分の言い分と反対の証言を行う証人を見ているような気がした。もちろん私はこういう特別の情報をにぎっているという印象を少しでも野村に与えることのないように注意しなければならなかった。私はわれわれの会談を、私が野村からあるいは普通の外交筋からきいている程度の情報の範囲内で行うようにせねばならなかった。これらの情報を安全に保管するために、私は秘書の一人に命じてこれを処理し、必ず海軍に返すかあるいは破棄させるようにしていた。

    ハル回顧録』コーデル・ハル著(中央公論新社)より引用

    予め相手の手の内を知っていれば、交渉において有利な立場に立てることは間違いありません。これがポーカーであれば、百戦百勝も確実です。

    ハルは野村との会談の前にすでに日本側の回答の中身と、その意図までもマジックによってつかんでいました。そのことは常に交渉の場でハルを有利にしました。

    ところが実際にはハルが判断の拠り所としていたマジック情報そのものが、真実から遠ざけられていたのです。そのため日米交渉においては双方で誤解の連鎖が生まれ、交渉決裂へと導かれることになりました。

    この悪循環について『暗号名はマジック 太平洋戦争が起こった本当の理由』では、次のように説明しています。

    わかりやすく単純化すれば、こういうことだ。アメリカ側が何らかの提案をしてきた場合、日本政府がそれを「受け入れる」ように東京からワシントンの大使に指示し、大使がそのとおりに「受け入れる」と回答しても、誤訳によって暗号解読文のほうは「受け入れるな」という翻訳文、またはそのようなニュアンスの曲訳文になっている。すると、アメリカに対する「受け入れる」という日本側の回答は、じつは「受け入れない」という本音を取り繕うための虚言と解釈され、狡猾な二枚舌外交の印象をアメリカ側に与えてしまう。日本が「受け入れる」ための条件として、いくつかの提案をしてみても、また、その提案が日本にとっては最大級の譲歩案であったとしても、本音を知っているつもりのアメリカはこれを断ってくるわけだ。

    それを日本側から見ると、アメリカ政府からの提案を素直に受け入れる回答を出しているのに、そのアメリカ側が日本の回答を断ってくるというのはどうにも解せない。果たして、相手が本当に真剣なのかどうか、疑わしくなってくる。それで日本が態度を硬化させれば、アメリカはますます日本への不信感を募らせる--このように、日米両国の相互不信がどんどん増幅されてしまうのである。

    暗号名はマジック 太平洋戦争が起こった本当の理由』小松啓一郎著(KKベストセラーズ)より引用

    このようなねじれた交渉が、実際に日米交渉において繰り返されました。マジックによってもたらされた悪影響は、かくも甚大だったのです。

    アメリカ側がマジックに頼ることなく、日本との外交交渉を判断の拠り所としていたならば、日米交渉は正史とはまったく異なる展開を見せたことでしょう。

    マジックの誤訳に象徴されるように、日本語と英語という言語の壁こそが日米交渉を阻んだ主役であったのかもしれません。

    今回はアメリカのマジック情報が日米交渉に与えた負の面を中心に紹介しました。次回は南部仏印進駐を受けて、アメリカが対日経済制裁に踏み切った足取りついて見ていきます。

    (7/36)対日経済制裁。なぜアメリカは南部仏印進駐を重大事と受けたのか

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    ドン山本
    ドン山本
    タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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