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    #11 なぜ朝鮮は日本にとって重要だったのか

    大東亜戦争への道筋

    「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」目次と序文はこちら

    第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

    前回の記事の続きとなっています。前回の記事はこちらから。

    第1部 第3章 帝国主義の時代(2/3)19世紀の世界情勢「東方を征服せよ!」

    第3章.大東亜戦争への道筋 -帝国主義の時代-

    1-5.なぜ朝鮮は日本にとって重要だったのか

    大東亜戦争へと至る道のりをたどっていくと、そもそもの始まりは日本が朝鮮を必要としたことに遡ることができます。ただし、日本が初めから朝鮮を侵略しようとしていたわけではありません。当初、日本が願っていたのは朝鮮の独立であり、朝鮮と貿易を行うことでした。

    しかし、結果的に日韓併合となり、朝鮮は日本の領土に組み込まれます。朝鮮を守るために満州が必要となり、満州事変が起きました。これにより日本は欧米から孤立していきます。

    満州を守るために日中戦争が起き、その過程で欧米による経済封鎖を受け、日本は大東亜戦争へと突入していったのです。

    朝鮮→満州→日中戦争→大東亜戦争へと、一本の道が繋がっています。

    では明治の時代、近代化を急いでいた日本はなぜ朝鮮の独立と朝鮮との交易を必要としたのでしょうか?

    その1.軍事的な必要性

    朝鮮が必要とされた最大の理由は、日本本土をロシアの侵略から守るために、朝鮮がロシアの植民地にされることを見過ごすわけにはいかなかったからです。

    極東侵略の野望を剥き出しにするロシアの影は、確実に日本に迫っていました。すでに北満州までロシア軍は進出しており、このまま手をこまねいていては朝鮮がロシアに侵略されることは明らかな情勢でした。そのことは日本にとって、国家の存亡にかかわる極めて重要な問題だったのです。

    軍事の常識から見ても、朝鮮がロシアの植民地と化した場合、日本をロシアの侵略から守ることはもはや不可能です。朝鮮から日本はあまりに近いため、朝鮮半島から押し寄せるロシアの大軍を防ぐ手立てなどないからです。

    明治期の作家、菊池寛はその著書『大衆明治史』のなかで、次のように綴っています。

    「朝鮮半島はその地形上、日本列島に対して短刀を擬したような恰好をしている。もし、この地が支那やロシアに占領されたとしたら、その時の日本はどうであろう。脇腹に匕首(あいくち)を当てられたようなもので、たえずその生存を脅威されるであろう。

    朝鮮問題が明治史のほとんど全部を通じて、終始重大問題を孕(はら)んだのは、実にこの日本国家の生存という根本に触れたためであって、日清戦争も日露戦争も、全く朝鮮問題を中心として惹起(じゃっき)されたのである。」

    菊池寛の指摘は、当時の日本の世相を正確に反映しているといえるでしょう。

    その2.経済的な必要性

    - 5%付帯条項と保護貿易によって生じた経済格差 -

    国家の経済力を高めるためには、貿易によって利益を得ることが欠かせません。輸出額が輸入額を上回れば貿易黒字によって国家財政は潤い、逆になれば貿易赤字によって国の財政は傾きます。どの国であれ、抱えている事情は同じです。

    さらに、国内産業の発展にも貿易は欠かせません。輸出が増えれば生産量も増え、国内産業は健全に発展します。ところが輸入品が増えて国内の市場を奪われると、国内産業はたちまち傾き、ついには消えてしまいます。

    それは、イギリスの植民地となったインドが経験させられたことです。欧米列強が植民地に強制したのは、自国の製品を売るための市場としての機能です。そのためには、植民地内の産業が栄えることは列強にとって不都合でした。

    そこで列強は、植民地内の工業が発展しないように仕向けました。そのために利用されたのが関税です。以前紹介した「インド綿工業の壊滅」にて、その手口について詳述しているため、ここでは省きます。

    植民地が宗主国の製品を輸入する際にかける関税を低く抑えることで、輸入品のシェアが次第に増し、やがては植民地内の産業を破壊することに繋がります。宗主国は植民地の関税を自由に操作できるため、自国に有利になるように取り計らえたのです。

    ちなみにイギリスが世界に君臨できたのは、産業革命によっていち早く工業化を成し遂げたばかりではなく、自由貿易を世界に強制したからこそです。

    イギリスのアダム・スミスは「すべての国はイギリスと交易し工業製品を仕入れるべきであり、自国内で工業を振興する政策をとってはならない」とあからさまに主張しています。

    帝国主義の時代

    wikipedia:アダム・スミス より引用
    アダム・スミス1723年 – 1790年

    イギリスの経済学者。古典派経済学の祖。主著に倫理学書『道徳感情論』と経済学書『国富論』がある。『国富論』によって後年「経済学の父」と呼ばれる。今日の近代経済学・マルクス経済学は『国富論』から出発している。重商主義批判は 19世紀以降イギリスの自由通商政策の支柱となった。晩年グラスゴー大学総長となる。

    世界中がイギリスの工場に原料を供給し、イギリスの工場で作られた製品を輸入することで、先進国も工業後進国もどちらも有利になるのだとイギリス側は説きました。そのためには、あらゆる国は自由貿易を推し進めるべきであり、関税などをかけて物流を阻害してはならないと主張したのです。

    こうしたイギリスの思惑に対して、反旗を翻したのはアメリカです。イギリスよりも優れた工業国家になれると、アメリカは自信をもっていました。

    そこでアメリカは自国の産業を守り育てるために、南北戦争の翌年には極端な高関税政策をとりました。そうして激増した関税収入を工業化の基盤となるインフラ整備に注ぎ込むことで、アメリカは農業国から工業先進国へと見事な変身を遂げたのです。

    アメリカが保護貿易によって工業化に成功したこととは対照的に、日本は不当な関税を西欧列強から押しつけられました。それが「5%付帯条項」です。実は日米修好通商条約では、日本に有利な関税が定められていました。ところが、幕府は皇居に近い兵庫の開港を遅らせることと引き換えに、「5%付帯条項」をあとから結んでしまいます。

    「5%付帯条項」とは、欧米から輸入する全商品に5%以上の関税をかけてはいけない、という取り決めです。幕府の役人には関税の知識などなく軽い気持ちで受けたのでしょうが、この取り決めは、1910年の条約改正まで45年の長きにわたって日本経済を苦しめることになりました。

    なぜ「5%」なのかと言えば、その国を工業化させず、なおかつ略奪だと他国から文句を言われないバランスの取れた関税率が、当時は5%だとされていたからです。

    「5%付帯条項」が締結される前、日本の貿易収支は黒字でした。その収益は日本の工業化に欠かせない原資となりました。しかし、「5%付帯条項」を結んだ年から、1千万ドルの赤字を計上するようになったのです。

    関税収入の激減により、日本の財政は悪化の一途をたどりました。西欧列強の目論見は成功し、日本は真綿で首を絞められるように次第に窮地へと追い込まれていきました。

    財源を確保するために明治政府は地租を導入しますが、事実上の増税となったために農民の暮らしぶりはさらに貧しさを増すばかりでした。

    保護貿易を実行できたアメリカとほぼ関税ゼロを強制された日本との差は、その後の両国の経済格差へとつながっています。その経済格差こそが、大東亜戦争の勝者と敗者を分ける大きな要因になったのです。

    - 欧米列強の経済圏は日本を苦しめた -

    帝国主義の本質は、自国に有利な経済圏を作ることにあります。欧米列強によるアジア侵略は、欧米のための経済圏の囲い込みでもありました。その経済圏から弾き出された日本は、いかに国を富ますかで苦しむことになります。

    19世紀末のアジアはインド・インドネシア・中国などで貿易に使われるすべての港を、欧米列強が支配していました。欧米列強は貿易の利権を握るために、自分たちが認可した商社が扱う商品を運ぶ輸送船以外の出入港を禁じ、徹底的に監視していたのです。

    そのため日本は輸入にしても輸出にしても、直接船を出すことができませんでした。また、日本の商船がロンドンやニューヨーク、ロサンゼルス、アムステルダムなどに航行することも許されていませんでした。

    日本が自国で製造した物を輸出するには、横浜や神戸・長崎などにある欧米の商社に持ち込むよりなかったのです。つまり完全なる買い手市場です。商品の買値は欧米の商社が自由に決めました。

    このような状況では、当然ながら商品は安く買い叩かれます。それがどれだけ不当な料金であっても、欧米の商社を通す以外に輸出の道がない以上、日本側は黙って従うよりありません。

    欧米の商社が要求する安い価格の製品を作るためには生産コストを下げるよりなく、それは工場労働者の賃金を下げることで成し遂げられました。これでは国民の暮らしぶりは、苦しさを増すばかりです。

    欧米列強によって日本経済は喉元を締められ、袋小路に追い込まれつつありました。国を富ますことに失敗すれば、「強兵」もまた夢のまた夢です。その先に待っているのは、欧米列強による完全なる植民地化です。

    この行き詰まり感を打破するために、日本は欧米列強に頼らなくても貿易できる相手国を切望していました。

    - 独立自尊の鍵を握っていたのは朝鮮 -

    工業化のためには石炭や鉄鉱石、ニッケルやマンガンなどの原材料が欠かせません。日本は原材料の輸入を完全に欧米に依存していました。なぜなら原料の原産地はことごとく、欧米列強が支配する植民地になっていたからです。

    原材料の輸入に際し、日本は欧米の提示するままの金額を払うよりありませんでした。原料の搬入もすべて欧米に依存するよりなかったのは前述の通りです。

    しかし、まだ欧米の植民地になっていない原料産出国が日本のすぐ近くにありました。それは朝鮮です。朝鮮には鉄鉱石の鉱脈があり、良質な石炭が豊富にありました。

    朝鮮と大きな貿易ができれば、欧米に依存することなく原材料を確保でき、日本の工業製品を直接売ることもできます。日本の生存にとって朝鮮は極めて重要な存在でした。

    結局のところ、欧米列強によるアジア侵略によって築かれた経済圏は、日本が望んだ自由な貿易を阻み、日本を孤立に追い込みました。経済の要所要所を欧米列強に抑えられた日本は、列強の掌の上で生かされているも同然だったのです。

    欧米列強が拳を握れば、すぐにでも押しつぶされるほどの苦境にありました。日本に閉じこもったままではいずれじり貧に陥り、近代化への道が閉ざされることは目に見えていました。

    原材料の輸入にしても、日本製品の輸出にしても、欧米列強の息のかからないルートを確保することが、日本が生き残るための唯一の方法でした。

    日本の独立自尊にとって、朝鮮はすべての鍵を握る重要な存在でした。朝鮮への接近は、軍事上の防衛においても経済面においても、日本にとってどうしても必要なことだったのです。

    参考URLと書籍の一覧はこちら
    大東亜戦争シリーズの年表一覧はこちら

    ドン山本
    ドン山本
    タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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