第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢
2章 白人による有色人種殺戮と略奪の500年
私たちの父祖がなぜ、明治期の日清・日露戦争から昭和初期の大東亜戦争に至ったのか、その理由を知るためには、当時の時代背景を理解するだけでは不十分です。歴史は常に連続しています。その断面だけを取り出してみたところで、真実は見えてきません。
思えば私たちが学校で習う世界史は、そのほとんどがヨーロッパの視点に立って展開されています。文明とはヨーロッパ人が作るものであり、アフリカやアジアの文明はヨーロッパに比べて低いという前提で歴史が綴られています。
そこには白人至上主義に基づく「人種差別」という根深い問題が、横たわっています。
16世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパの白人はアメリカ大陸・アフリカ大陸・オーストラリア、そしてアジアへ進出(?)し、殺戮(さつりく)と略奪を繰り返しました。
白人たちはそれを「文明化」と呼びます。しかし、黒い肌や黄色い肌をしていた先住民族にとって、白人たちは彼らの幸せな日常を奪う侵略者以外の何者でもありませんでした。
1章では、二つの世界地図について、それぞれが何を語るのかを紹介してきました。
今回はヨーロッパの列強が有色人種を隷従した500年を振り返ってみます。
2-1.コロンブスの「発見」から始まる有色人種の奴隷化
コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、彼らは15世紀半ばから始まる大航海時代の偉大な冒険家、あるいは英雄として語り継がれています。
コロンブスたちが新大陸や新たな未知の大地を発見したことで、ヨーロッパは大きく繁栄したからです。ヨーロッパから見れば、コロンブスたちは偉大な英雄といえるでしょう。
しかし、新大陸にしても新たに発見された土地にしても、すでにそこには先祖代々住み着いている先住民がいました。先住民から見れば、コロンブスたちはまさに災厄を運ぶ者でした。
500年にわたる有色人種の受難の時代は、コロンブスの新大陸発見から幕を開けることになります。
もともとコロンブスが航海に出たのは、マルコ・ポーロの著した「東方見聞録」に書かれていた黄金の国ジパングを見つけるためでした。その意味では日本という存在そのものが、白人による有色人種迫害の呼び水になったともいえます。
白人征服者たちは鉄砲と十字架を持って新たに発見した島に上陸すると、小高い丘に十字架を立て、神の名によってこの地を本国の国王の土地であると一方的に宣言しました。植民地化の始まりです。自国領土となったからには、その地にある資源や宝物、住民はすべて国王の物です。
鉄砲という先住民が見たこともない武器で脅し、征服者たちは島の金銀や財宝などを根こそぎ奪いました。少しでも反抗する者は即座に撃ち殺すことで、恐怖によって先住民を支配したのです。
スペイン軍による残虐な行為をラス・カサスという一人の司祭が克明に書き留めた手記が、現在も残っています。そのなかに、現代のハイチとドミニカ共和国にあたるカリブ海に浮かぶ島のことが記されています。
コロンブスたちを乗せた船が浜に打ち上げられると、島の先住民たちは支援と看護を行い、厚くもてなしました。島にはタイノ族と呼ばれる民族が農耕と交易を行いながら、平和に暮らしていました。
心地よい歓迎を受けたことに感動したコロンブスは、手記にこう記しています。
「さほど欲もなく…こちらのことにはなんにでも合わせてくれる愛すべき人々だ。これほどすばらしい土地も人もほかにない。隣人も自分のことと同じように愛し、言葉も世界でもっとも甘く、やさしく、いつも笑顔を絶やさない」
「人種差別から読み解く大東亜戦争」岩田温著(彩図社)より引用
素晴らしく善良な人々に出会えたことを喜んだコロンブスですが、それにも増して彼を喜ばせたのは、島に黄金があったことでした。
座礁して危ないところを助けてもらった恩義に対して、コロンブスはいったんスペインに帰ってから軍隊を引き連れて戻り、彼が「愛すべき人々」と呼んだタイノ族の人々を奴隷化することで応えました。
数少ない兵でも、征服は簡単でした。「住民は裸で、武器など持っていなかったのだ」とコロンブスは綴っています。
逆らう者は容赦なく殺され、金鉱の採掘のためにタイノ族の人々は奴隷として強制労働を強いられました。
やがて島全体に伝染病と飢餓が広がりました。天然痘やチフスなどの伝染病が白人たちによってもたらされ、耐性と知識のない先住民はばたばたと倒れていったのです。また、食糧を供出することを度々命じられたため、飢餓の発生も広範囲に及んでいます。
堪りかねたタイノ族の人々が抵抗しようとすると、コロンブスは軍隊を差し向け殺戮とともに帰順させました。
多くのタイノ族がスペイン兵の手にかかって殺され、伝染病と飢餓で死亡し、生き残った者たちには過酷な強制労働と抑圧が続きました。
あまりの暴虐に耐えきれず、タイノ族のなかには服従よりも死を選ぶ者が多数いました。
あるスペイン兵は綴っています。
「我々の目の前には木で首を吊った人々が並んでいた。彼らは悲惨な状態で子供を残すよりも殺すほうがましだと言って、子供を殺してから自殺していた。ある人たちは高い断崖から身を投げた。ある人たちは海に身を投げた。ある人たちは刃物で自らを刺して死んだ」
穏和な気候に恵まれ、家族とともに幸せに暮らしていたタイノ族の人々の暮らしは、コロンブスたち征服者の出現によって、地獄と化しました。
ちなみに冒険家と称されるコロンブスの本当の職業は奴隷商人です。航海の先々で上陸した土地で略奪を行うとともに先住民の多くを虐殺し、奴隷として持ち帰り、私腹を肥やしました。それでもヨーロッパから見れば、これも英雄的な行為として讃えられています。
コロンブス以来、白人が有色人種を侵略するのは文明化という善行であり、劣っている有色人種がたとえ自衛のためであろうとも白人に逆らって攻撃することは犯罪とみなされました。
いったい彼ら白人の征服者たちは、どのような論理で有色人種を公然と虐げたのでしょうか?
2-2.中南米で1億人が犠牲になった!?
コロンブスたち冒険家が見つけた金になりそうな土地を、あとから軍隊を派遣して侵略していったのはスペインとポルトガルです。
中南米にはすぐれた王国もありました。
アステカ王国やインカ帝国です。いずれも十万に近い軍隊を動かすだけの力がありましたが、数百人の兵と数十の馬を従えただけのスペイン軍に打ち負かされ、滅亡しています。
銃や騎兵を初めて目にしてひるんだことも影響していますが、それ以上に王国内の内戦をスペイン軍が巧みに利用したことと、卑怯なだまし討ちに慣れていなかったことが滅亡に至った原因です。
土地を征服する過程で、そして征服した後も、スペインやポルトガルの兵は先住民族を情け容赦なく殺しています。
先述のラス・カサスは次のように記しています。
「この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無残な所業のために男女、子供合わせて1200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。それどころか、私は、1500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても、真実間違いではないと思う」
ラス・カサスはインカ帝国でスペイン人が行った虐殺の様子についても「インディアスの破壊についての簡潔な報告」という手記にて、生々しく語っています。あまりにも残虐すぎるため、ここでは紹介しませんが、興味がある方は調べてみてください。ネット検索だけでも多くの情報がヒットします。白人が有色人種を人間として見なしていないことが、赤裸々に綴られています。
コロンブスが中南米に達した1492年頃、それらの地方にどれだけの先住民族が住んでいたのかについては諸説あります。もっとも低く見積もっても4千万人、もっとも多い推計は1億1千万人です。
ところがインカ帝国が滅亡した1570年頃の人口は、およそ1千万人とされています。つまり最低でも3千万人、最大推計で1億人の先住民族がヨーロッパの征服者の犠牲になったと考えられます。
記録として残されているなかでは、サント・ドミンゴの人口減少が知られています。コロンブスがやって来たときの先住民の人口は20万でしたが、20年後には1万4千万人に減少し、さらにその30年後には純粋な先住民は200人しか残っていませんでした。
もちろん、サント・ドミンゴをはじめとする中南米の先住民のすべてが直接殺害されたわけではありません。伝染病による死もかなりの割合を占めています。しかし、それとて鉱山や農園で奴隷として過酷な労働を強いられたことで体力を奪われた結果です。
男は金の採掘、女は畑仕事で酷使され、食物は雑草のような粗末なものしか与えられませんでした。荷物の運搬にも先住民たちが牛馬のように使われました。重い荷物を背負わされたまま100キロもの距離を歩かされ、休むと鞭や棒で打たれ、家畜同様に扱われていたとカサスは記しています。
コロンブスも綴っています。
「エスパニョーラのインディアスこそ富そのものである。なぜなら彼らは地を堀り、われらキリスト教徒のパンやその他の糧食をつくり、鉱山から黄金を取り出し、人間と荷役動物の労役のすべてをするのが彼らだからだ」
16世紀のスペインの人口は500万、ポルトガルは100万人ほどに過ぎない小さな国でした。その小さな国の征服軍に対して非白人は防衛という観念さえなかったため、たやすく侵略を許し、数世紀にわたって辛酸を舐めることになったのです。
2-3.有色人種を侵略する論理
近世500年の間に世界の覇権国は移り変わっています。16世紀はスペイン、17世紀はオランダ、18世紀から19世紀にかけてはイギリス、20世紀はアメリカが覇権国です。
16世紀から20世紀半ばまでは、どの国がもっとも多くの植民地を抱えるかで覇権国が決まっていました。その際、西欧列強が侵略の拠り所としたのが「先占の権限」です。
スペインやポルトガルの時代は先に発見した国が、自分のモノだと主張することができました。しかし、それでは島の帰属を巡って争いが起きるため、ローマ教皇の裁定に従って西経45度の子午線を基準に西方をスペイン、東方をポルトガルの進出範囲と決めました。
有色人種の住む島を侵略する際の表向きの大義名分は、キリスト教の布教活動です。原始キリスト教では異教徒を悪魔同然とみなします。インカ帝国をはじめとして略奪と殺戮に宣教師が積極的に加担している例は、数え切れないほどあります。
スペインとポルトガルの取り決めは、あとから海外に出ようとしている国にとっては不利益です。そこでイギリス・オランダ・フランスを中心に「先占の権限」が主張され、広く適用されることになりました。
「先占の権限」とは、「ある程度の社会的・政治的組織を具えた先住民が居住していても、いまだ西欧文明に類する段階(文明国)に達していない地域」と見なすと、その地域を無主地(主のいない土地)として、占有することが認められるという理論です。
当時のヨーロッパの白人は、西欧文明こそが世界でもっとも優秀だと信じていました。それゆえに西欧文明以外の北米・中南米・アジア・アフリカに人が住んでいても文明度が低いゆえにそれを認めず、先占の権限というルールを勝手に作ることでヨーロッパの白人が自由に占有してもよいと宣言したのです。
まさに「白人でなければ人間にあらず」といった究極の白人至上主義が、先占の権限に表れています。
17世紀以降、西欧列強は自分たちが勝手に決めた「先占の権限」を盾に非白人が平和に暮らしていた土地を次々と侵略し、殺戮と略奪を繰り返しながら植民地として支配し、自国の領土拡大に明け暮れることになります。
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→第1部 2章 2/7 欧州に繁栄をもたらした奴隷貿易とそれを支えたキリスト教
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