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    レキシジン3章「人種差別と世界大戦」1937年 日中戦争を操った国々#33 なぜ日本は大東亜経済共栄圏を築く必要に迫られたのか?

    #33 なぜ日本は大東亜経済共栄圏を築く必要に迫られたのか?

    「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」目次と序文はこちら

    第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

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    第1部 3章 泥沼の日中戦争(8/10)同情は中国に、嫌悪は日本に・・・

    5.泥沼の日中戦争へ

    5-12.深まるアメリカとの対立

    当時の日米関係を振り返ったとき、極めて重要な転換点となった事件があります。1939(昭和14)年6月に起きた天津英仏租界封鎖問題です。

    この事件によりアメリカは日米通商航海条約を一方的に廃棄し、以降は日本への経済封鎖を次第に強めていくことになります。経済封鎖は日本が大東亜戦争へと踏み切った直接の要因でもあります。

    ここでは天津英仏租界封鎖問題を中心に振り返ってみます。

    その1.租界が阻む東亜新秩序の建設

    日中戦争
    http://liondog.jugem.jp/?page=10 より引用
    天津の英租界のヴィクトリヤ公園(昭和14年3月15日 名古屋日日新聞社)

    東亜新秩序の建設において、その行く手を阻む大きな存在が、中国各地に点在する租界でした。ことに英仏の租界は中国のなかの独立国のような存在であり、日本が支援する地方政権の行政権も日本軍の勢力も及びませんでした。

    なかでも日本にとってもっとも頭が痛い問題は、通貨でした。経済を支配するためには通貨を統一し、その管理を一手に引き受けることが必要です。

    華北においては北京臨時政府のもとで連合準備銀行(連銀)が創立され、連銀券が唯一の法貨とされていました。連銀券は円とリンクしています。

    ところが連銀券はまともに流通しませんでした。国民政府の管理通貨である「法幣」が未だに広く流通していたからです。法幣は英ポンドとリンクしていました。

    日中戦争
    https://www.archives.gov.tw/Publish.aspx?cnid=1668&p=1312 より引用
    中国で発行されていた法幣

    主としてイギリスの支援によって維持されていた法幣は国際通貨の地位を確保しており、現地の信用は高かったのです。

    通貨を管理することで華北経済圏を国民政府から切り離したい日本にとって、法幣を駆逐することは絶対に必要なことでした。

    法幣がいつまで経っても駆逐できないのは、英仏租界内では依然として法幣が法定通貨とされているためでした。租界内は北京臨時政府の行政権が及ばないため、どうにもできません。

    天津は当時、華北第一の貿易港です。それだけに天津にある英仏租界には主要な金融・商業機関が集中しており、華北経済の中心地になっていました。その英仏租界で法幣が使われていたため、英仏租界を中心に華北と華中・華南までを結ぶ法幣による一大交易圏が成立していたのです。

    つまり、英仏租界こそが日本側による華北経済の支配を阻んでいる元凶でした。

    日中戦争は通貨戦でもあったとよく言われるのは、このような背景があったからです。

    通貨戦に勝利するためにも、中国に列強が有する租界をすべて返還させる必要がありました。その矛先が法幣の元締めであるイギリスに真っ先に向かうのは、ごく自然なことといえるでしょう。

    その2.日米対立の発火点となった天津英仏租界封鎖問題

    ー 天津租界封鎖のあらましと反西洋 ー

    日中戦争
    http://liondog.jugem.jp/?page=10 より引用
    街路整然たる仏国租界及英国租界を望む

    通貨と並ぶ、天津の英仏租界のもう一つの問題は、華北における共産党系遊撃軍や国民党系ゲリラなどの隠れ蓑(みの)になっていることでした。抗日勢力を取り締まりたくても租界内に逃げ込まれてしまうと、もはや手出しができません。

    そのため、英仏租界は抗日勢力の根拠地と化していました。抗日勢力の引き渡しを要求しても英仏租界側は応じないため、軍は手をこまねいていました。

    そんな状況下で1939(昭和14)年6月に、北京臨時政府によって新たに任命された海関(税関)監督が、天津の英仏租界内で暗殺される事件が発生したのです。

    この事件の容疑者の引き渡しを日本側は求めましたが、英仏租界側はまたも拒否しました。これに怒った日本軍は天津の租界を封鎖するという実力行使に、ついに踏み切りました。

    この報道が国内に流れると、反英運動がこれまでにないほどの盛り上がりを見せ、各地で集会が開かれました。東亜新秩序の建設を邪魔立てするイギリスへの批判に、聴衆は万雷の拍手をもって応えました。

    反英運動は中国にも飛び火しています。そこに日本軍の扇動があったことはたしかですが、国民政府にしても共産党にしても、そのことに対する非難を行うことなく静観を貫きました。

    そのことはジョンソン中国大使を大いに失望させました。中国側は日本と戦争をしていても、反西洋の立場では日本と歩調を合わせているように見えたからです。

    ジョンソンは次のように語っています。

    「日本人によって唆された占領地における反英扇動との関連で注意に値するのは、私が知る限り、中国当局がそのような扇動を公に非難しなかったことである。憶えておかねばならないことは、ここ極東では、西洋人は東欧の国々におけるユダヤ人のような地位にあるということ、そして、西洋のいずれの国民に対してであれ、西洋人に敵対する扇動には、極東のすべての人々が本能的共感をもつだろうと思われることである……。」

    人種戦争という寓話―黄禍論とアジア主義』廣部泉著(名古屋大学出版会)より引用

    日中戦争
    wikipedia:ネルソン・ジョンソン より引用
    ネルソン・ジョンソン 1887年 – 1954年
    アメリカの外交官。中国を中心とする極東地域を担当した。上海領事館で副領事・長沙領事館で領事を務めた後、極東部の部長に就任。国務次官補を務めた後、駐中華民国公使、のちに大使となる。アメリカの対中政策についての立案を担当し続けた。アメリカの利益に反しない範囲内で、可能な限り中国の主権回復をするよう主張した。

    ジョンソンの感じ取った「アジアの人々が抱く本能的な共感」は、大東亜戦争において反白人の狼煙となってアジア中で沸き上がることになります。

    ー イギリス側の大幅譲歩 ー

    日本が天津の英仏租界を封鎖したのは、抗日活動の封じ込めを名目に租界を華北経済から切り離すためです。そのために、租界内の国民政府系銀行が保有する現銀(銀貨・銀塊)を臨時政府へ引き渡すように要求しています。大量の現銀こそが法幣の貨幣価値を裏付けていたからです。

    この際、「北支経済の癌」とされていた英仏租界を一気に無力化しようと図ったのです。

    日本側が一歩間違えれば日英戦争にも発展しかねない租界封鎖という荒療治に出たのは、国際情勢を冷静に分析したからこそです。緊迫したヨーロッパ情勢を前に、イギリスが遠いアジアのことで戦争を起こす余裕などないことを軍部は見抜いていました。

    実際、イギリスはヨーロッパ情勢に備えるために日本との紛争は回避すべきと決定し、あくまで外交交渉による平和的な解決を目指しました。

    7月23日に有田外相とクレーギー駐日英大使による日英東京会談が行われ、イギリス側は日本に大幅に譲歩し、租界を含めて中国において日本軍の妨害となる行為を差し控えることを受け入れました。

    重慶の蒋介石政権はイギリスに対し、それでは日本の占領地支配をイギリスが承認したことになると強く抗議しています。中国としてはイギリスが次々と日本の要求に屈していく様を見て、歯がゆい思いをしていました。

    これまで中国の税関である海関を実質的に管理していたのはイギリスでした。ところが華北の海関は北京臨時政府に接収され、上海海関も5月に南京維新政府に接収されていました。

    日本とイギリスとの交渉のみで海関の管理権が日本に移されたことは、中国側にとっての屈辱でした。これにより重慶政府の関税収入は大幅に減少し、蒋介石政権は大きなダメージを受けていたのです。

    中国からイギリスの権益を少しずつ引きはがすことに、日本は確実に成功していました。ところが……。

    その3.日米通商航海条約の一方的な廃棄

    ー アメリカはなぜ通商条約を廃棄したのか ー

    日英東京会談で一応の解決を見た天津英仏租界封鎖問題ですが、その3日後の7月26日、アメリカ政府はなんの前触れもなく突然、日米通商航海条約の破棄を通告してきました。

    日米通商航海条約は関税自主権の回復という不平等条約の改正を受けて 1911年に締結されて以来、日米の通商航海の自由を守ってきた条約です。日米修好通商条約の時代も入れれば、1858(安政5)年以来、日米友好の証となってきた条約でした。

    日中戦争
    https://blog.goo.ne.jp/sisekitannbou/e/49609175d5ad4b524f9538fc2083941a より引用
    長らく日米友好をとりもってきた日米通商航海条約の廃棄は、日本側に大きなショックを与えた

    通商条約の破棄は、日本がイギリスに対して譲歩を強要したことに対するルーズベルト大統領らによる警告処置でした。日本による東亜新秩序声明も、イギリスをはじめとする列強の中国における権益を日本が奪おうとすることも、アメリカは一切認めないとする意思表示です。

    領土保全と門戸開放の原則に反する既成事実をイギリスが公式に承認することを、アメリカは容認できなかったのです。

    予期していなかったアメリカの通告に、日本は大きな衝撃を受けました。通商条約の破棄によって、6ヶ月後には条約が失効します。そうなるとアメリカはいつでも合法的に対日貿易を制限あるいは停止できることになるからです。

    当時の日本は石油類の75%、鉄類の49%、機械類の54%など、多くの重要物資をアメリカからの輸入に頼っていました。それらの重要物資は日中戦争を遂行する上でも、欠かせないものでした。

    ところが通商条約の破棄を通告されたことによって、重要物資の供給が途絶える可能性が生じたのです。このことは日本の興亡につながるほどの重大事でした。

    ー アメリカによる対日経済制裁 ー

    日中戦争
    http://syowakara.com/06syowaD/06history/historyS14.htm より引用
    1939(昭和14)年7月6日付け中外商業新聞、日米通商条約破棄を報じる記事

    日本にとっては驚天動地の通告でしたが、対日経済制裁の検討はアメリカでは1938(昭和13)年の末頃から始まっていました。

    国務省政治問題担当顧問ホーンベックがハル長官に対して、米国民は今や思い切った行動を歓迎しているとして日米通商航海条約の廃棄を提案しています。

    イギリスからも対日経済制裁が提唱され、クレーギー駐日英国大使はグルー駐日米国大使に対して日本からの輸入制限、対日クレジットと借款の停止による対日経済制裁についての覚書を送っています。

    その際、グルーはこの提案に反対し、次のように述べています。

    「日本人は頑健な民族で、個人的また国家的犠牲に慣れてゐる。彼等は歴史を通じて惨事や災害との遭遇に慣れて居り、『命懸け』の精神は他のいかなる民族よりも深く日本民族の中に染み込んでゐる。支那に於てこれだけ多くの血と財貨を投じたいま、日本が今事変での敗北を認めるといふが如きは、当大使館としては頗(すこぶ)る考へ難い仮説である」

    大東亜戦争への道』中村粲著(展転社)より引用

    日中戦争
    wikipedia:ジョセフ・グルー より引用
    ジョセフ・グルー 1880年 – 1965年
    アメリカの外交官。デンマーク公使・スイス公使・国務次官・ルコ大使を経て駐日大使となる。日米親善に尽力し、日米開戦回避に向け奔走した。帰国後は国務次官となり、占領政策立案・終戦交渉に尽力した。終戦と同時に国務長官を辞し、私人として講演活動などを通じて日米両国の親善に尽くす。戦後処理に際しては、天皇制を擁護した。吉田茂はグルーのことを「本当の意味の知日家で、『真の日本の友』であった」と高く評価した。

    されど、グルーの意見は無視され、1939(昭和14)年1月にアメリカは日本に対して航空機及び部品の道義的禁輸を実施し、続いて翌2月にはクレジット禁止による対日経済制裁に踏み切っています。

    そこへさらに今回は日米通商航海条約の廃棄を通告したことで、日本に対するあからさまな警告としました。

    実はイギリスはアメリカに対して直接介入を要請していました。それを断ってアメリカは通商条約の破棄を通告するだけに留めていたのです。直接制裁するのではなく、制裁が可能となる状態に移行することで、日本側に自制を求めたといえるでしょう。

    しかし、通商条約の廃棄通告は日本にとって喉元に刃を突きつけられるも同然でした。これにより日本は、アメリカに依存せずに自立できる経済圏を自らの手で創り出す方向へ向けて走り出すことになります。

    ー 天津租界封鎖のその後 ー

    アメリカの心強い支援は、譲歩に向かっていたイギリスの態度をも一変させました。続いておこなわれた東京での日英交渉においてイギリスは、租界内での抗日組織の取締りなどでは譲歩したものの、日本が交渉の主眼としていた通貨問題では態度を硬化させています。

    日本が要求していた租界内での法幣の流通禁止と租界内の国民政府系銀行が保有する現銀の引き渡しについては、かたくなに拒否しました。イギリス側はアメリカとフランスを交えての協議が必要との主張を譲ることなく、交渉はやむなく無期延期となったのです。

    この交渉に臨んでいた中支那方面軍参謀副長の武藤は「英国の態度は二面外交を弄し、遅延を策して第三国の介入を企図するもの」であると憤り、租界の封鎖を翌年の6月まで継続しました。

    その4.大東亜の新秩序を目指して

    日中戦争
    http://d.hatena.ne.jp/mensch/20091004/p1 より引用
    アメリカに依存することなく自立するためには、日中満による大東亜新秩序をさらに発展させた大東亜経済共栄圏を築く必要に迫られた

    天津英仏租界封鎖問題とその後のアメリカによる通商条約破棄の通告は、日本のその後について主として3つの大きな影響を及ぼしました。

    ひとつは大東新秩序の建設において、直接の障害としてイギリスが改めて強く意識されたことです。列強のなかでもっとも大きな権益を有し、なおかつ経済的な影響力をもつイギリスを中国から排除することは、日本にとって避けられないことでした。

    ふたつめはアメリカ政府がイギリス重視の姿勢をとることがわかったことです。ことにルーズベルトがイギリス寄りの政策を推し進めようとしていることは、日本にとって重要な意味をもっていました。

    イギリスとアメリカは一心同体なのか、それとも自国の国益を優先することでイギリスと距離を置くのか、アメリカの動向次第で日本の動き方を変えざるを得ません。

    この後日本はイギリスとアメリカを分断できるかどうかをめぐり、陸軍と海軍で見解が分かれ、衝突することになります。

    いずれにせよ、中国からイギリスを駆逐するにしても、アメリカの動きに細心の注意を向ける必要があることはたしかでした。

    最後に三つ目として、アメリカに依存する経済状況のままでは日本の未来がないことに気づかされたことです。

    日本としては東亜新秩序の建設を、アメリカの資本を呼び込むことで実現しようと思い描いていました。しかし、アメリカに依存しなければ成り立たないような経済状況では、アメリカの機嫌を損ねるとたちまち立ちゆかなくなってしまいます。

    となれば、アメリカに依存する経済状況からの脱却を目指すよりありません。そうなると東亜新秩序の構想も大きな変更を迫られることになりました。

    アメリカへの経済依存を断ち切るためには、資源をアメリカからの輸入に頼っている現状を変える必要があります。日本・中国・満州だけでは資源が不足することは明らかです。

    鉄や石炭などは日本・中国・満州の3国内でどうにか自給自足できる状態でしたが、石油だけはどうにもならない状況でした。石油をアメリカからの輸入に頼っている現状を変えなければ、経済的な自立は到底望めません。

    そこで日本は、当初構想した東亜新秩序をより発展させ、自給自足的な「協同経済圏」を作る方向に舵を切りました。

    第一に石油を確保すること、さらに生ゴム・ボーキサイト(アルミニウム原料)などの資源も必要でした。これらの資源は日本や中国大陸ではほとんど算出しない資源だったのです。錫(すず)・ニッケル・燐(りん)も東亜三国だけでは産出量が不足していたため、他から補充する必要がありました。

    そうした資源に恵まれている場所は、すぐ近くにありました。インドネシア半島やインドネシアなどの東南アジアです。

    ここにおいて、日本・中国・満州のみならず、東南アジアを含めた「大東亜を包容する協同経済圏」を設定する構想を日本は描くようになります。

    日中戦争
    https://s.webry.info/sp/oryouridaisuki.at.webry.info/201609/article_17.html より引用
    大東亜共同宣言のポスター

    アメリカへの経済的依存を断ち切るためには、「大東亜協同経済圏」を構築するよりなかったのです。「協同経済圏」の構想は、のちの「大東亜共栄圏」へと繋がっていきます。

    かくして南方資源獲得へと、日本の視線は向けられることになったのです。

    参考URLと書籍の一覧はこちら
    大東亜戦争シリーズの年表一覧はこちら

    ドン山本
    ドン山本
    タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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